おさかなはフィッシュ

懺悔のおさかなはフィッシュのレビュー・感想・評価

懺悔(1984年製作の映画)
3.0
“普通”の映画が始まるものだと思っていると、開始早々、しっかりと葬式が執り行われ埋葬されたはずの市長が、なぜか土だらけで庭の木に寄りかかり立っている…!?
うええ、いったい何が起こっているの…!?とおののいていると、この展開が何度か繰り返される。埋めても埋めても出てきちゃう。このあたりで若干笑う。(掘り起こしている犯人も、結局ちゃんと存在していて裁判にかけられる。えええ…。)
その後も想像力豊かというか、エキセントリックな表現が多く、なかなか翻弄された…。

描かれているのは大粛清の時代で、独裁を行っていた市長である祖父の罪が、その息子、孫を苦しめる。どこかで無かったことになどできず、その後を生きる者たちには、どう行動するかが問われ続ける。背負う荷の重さよ…。

政治的圧力から逃れる意味もあったであろう (『グルジア映画への旅』によると、グラスノスチの時代ではあったけれど、実際にKGBから反ソヴィエト的と判断され、公開までに数年を要したらしい。) 象徴的でアクの強い表現に目が行きがちだけれど、ラストシーンで老婆の発する「この道は教会に通じていますか?」「教会に通じない道が、何の役に立つのですか」という台詞には、静かに、けれども強く心を揺さぶられる。



以前は知らなかったけれど、この映画の“市長”のモデルにもなったであろうスターリンは、ジョージア出身だったのね。
『グルジア映画への旅』によると、彼の死後に行われたスターリン批判は、ジョージアの人々にとって個人への批判にとどまらず、民族感情を傷つけるものであったという。
そして、スターリンの被害者であったにもかかわらず、ジョージアでは若者を中心に大規模な抗議運動が起こったそう。
日本に生まれて暮らしているとなかなか想像することのできない複雑な感情が、世界のどこかにはあることを思い知る…。

横浜シネマリンの「ジョージア映画祭in横浜」にて鑑賞。