60年代、70年代、そして今作は84年作ということで「三部作」扱い。先の二作には満点評価をさせていただいたが、今回は「普通」
三作合わせて振り返ると、作を追うごとに説明臭が強くなる気がして。
革命後のソ連邦体制にどう付き合うかを作家は一貫して表現してきているのだろうが、年を経るに従ってその口ぶりがどんどん平易(平板)になっていくのは何故なんだろ。逆教条主義みたいな。
「A 」を「A 」とただ言葉を映像に変換して表現するだけでは、それは相手に響かないし残らない。無前提に表現者に同化している相手なら別だけど。言い換えれば何の思慮もなく「異議なし!」と付和雷同する「大衆」相手にしか効果を持たないのでは?
映画構成的には終盤のダラダラ感は、もうちょっと気合を入れてつづめて欲しかった。最後になって眠くなるのはご勘弁。