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モルグ街の殺人のmasatのレビュー・感想・評価

モルグ街の殺人(1932年製作の映画)
3.5
ハリウッドへ、まさに“金の鉱脈”たる“怪奇”を持ち込もうとしたフランス人ロバート・フローリー。
その企画、フランケンシュタインを、ドラキュラを同年演じる演劇人ベラ・ルゴシを人造人間役に据え、勢いを付けようと鼻息の荒いユニヴァーサルへ提案するも、何故か却下され、その人造人間の夢はゲイの監督とハリウッドが(その迫力を)持て余していた俳優ボリス・カーロフの手に渡った。
その代わりに本作『モルグ街の殺人』でアメリカにおいて監督デビューを果たす事になった。

本作は、良くも悪くも、何故“フランケンシュタイン”が、ゲイ監督ジェームズ・ホエールに渡ったか?が解る。
陰鬱で暗い、その(恐らくフローリーが想い描いた)イメージがまずハリウッド的ではなかったのではないか?そして、エレガントで線の細いベラ・ルゴシには、この役は適任ではなかったのではないか?

かくして、人造人間は大ヒットを遂げ、ハリウッドへホラーの波が押し寄せることになったので、目出たしなのだが。

映画はカメラであり、その映し撮る映像が、監督の美意識と共鳴し、驚くべき世界が目の前に現れる。本作でも、それが実証されている。
撮影はカール・フロイント。ドイツからの亡命者。ドイツ時代に『メトロポリス』(26)を筆頭に、ドイツ映画絶頂期に大暴れした男。
彼は『魔人ドラキュラ』で、ハリウッド怪奇映画ブームの一翼を担い、後に『ミイラ再生』(32)で監督デビューを果たす。

さて、フローリーとフロイントという、この異国からの映画人がやっと出逢うのが本作である。これぞまさにハリウッド・ドリームと言えよう。移民が一大カルチャーの礎を築いたのだ・・・いや、
しかし、前述の通り、このコンビは、その中心には居なかった。

しかし、確かに、彼らが、その怪奇な企画とLOOKを、ハリウッドへ持ち込んだ張本人なのは、疑いようの無い事実である。

本作のこの陰鬱なヨーロピアン・トーンは、何事か!
これでは、当時の映画界が唖然とするはずだ。

全編、美と退廃が支配し、“いかがわしさ”が充満した世界観となっている。
後続のユニヴァーサル・クラシック・ホラーが、まるで明るく健康的と感じられるほどだ。
しかし、残念ながら、1932年の“トレンド”では無かったという結果な訳なのだ。

このフランス人とドイツ人のコンビが撮ったら、人造人間の夢は、どれほどのものを映し出したことか・・・
映画は時代の要請、その賜物なので、仕方がない。
観るもおぞましい真実の人間の顔と街と霧を、人々は要望しなかった訳なのだ。

見世物小屋の光と影、異様なゴリラ、原住民インディアンと川縁に屯する浮浪者、そしておぞましく輝くベラ・ルゴシの夢見るような瞳・・・
この珠玉の芸術、映画の本質である“いかがわしさ”を、
その存在に
気付いた者だけで
        愉しもうぞ!
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