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チェンジリングのharunomaのレビュー・感想・評価

チェンジリング(2008年製作の映画)
5.0
確かに『チェンジリング』(Changeling)の年に、大江健三郎の『取り替え子(チェンジリング)』を化し、チェンジリングから来ているのかとかつて思い出していたが、事態は逆で、読んですらいなかった当時2004年に購入していたこの文庫版の『取り替え子(チェンジリング)』を初めて手にする。
2007年公開の『サッド ヴァケイション』

「当たり前やないの、あんた、健次の子供よ」
「ね、勇介の生まれ変わり」
「ホント、男の人らは好きにしたらええのよ、こっちは痛くも痒くもない。子供がおるけんね、ねえ冴子さん?」
「いま女房が出掛けにこう言うたとです、死んだもんのことも生きとるもんのことも忘れましょう、ち、これから生まれてくるもんのことだけ考えましょう、ち」
「健次は、それが耐えられんとやったんとやろうのう」
「なんぼ切れたいと思うても、つきまとって離れん、なんでん許してしまいよる、そういう底知れん懐の深さがね、恐ろしかったとやないか」

『サッド ヴァケイション』

いそいそと書庫から出してきたシナリオ本のページにはやはり、2015年4月のシネマート六本木はヤスミン・アフマドの
『ムクシン』のチケットが栞として挟まっている。

m氏(tm0814)の
『サッド ヴァケイション』の指摘通り、
『取り替え子(チェンジリング)』の
ダッシュ表記、鉤括弧なしの最後の言葉は、ウォーレ・ショインカの戯曲『死と王の先導者』から台詞を引用して小説は終わる。

ーもう死んでしまった者らのことは忘れよう 、生きている者らのことすらも 。
あなた方の心を 、まだ生まれて来ない者たちにだけ向けておくれ。

まだ最初の方しか読んでいないが、田亀なるカセットレコーダー、ヘッドフォーンなんて、まんま今のボイスとして、荒れくるう穏やかさにおいて、幻想と実感の声における対話であるだろう。

モデルと言われる伊丹十三は、しかし、小説の中では本人とはまったく別な人間であると思う、教養、知的、エスプリ、ランボオなど、大江以外に本当だろうかと疑う。
むしろ五良とは絵以外では、青山真治と諏訪敦彦を足したような映画監督にすら見える。実際、映画監督で自殺に成功するとは、どういうことだろうか。とはいうものの、ユスターシュ、バルネット、グル・ダット、そしてトニー・スコット。すべての映画監督が好きだ。しかし彼らは闘った末に、理由はわからないが鬼籍に入った。河へと。この、プロデューサーと揉めてデビュー作一本で死んだ伝説的な現代中国若手映画監督はどうだろう。ゴダールは、映画監督は楽天的だから自殺しないと言っていたが、その本人が煮え切らない2022。

それにしてもこの時期のイーストウッド、『ミリオンダラー・ベイビー』『チェンジリング』と劇場で公開時1度しか観れなかった(すごすぎて見直せないのは『トウキョウソナタ』と同じ)が、圧倒的であった。
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