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ダーティファイターのnetfilmsのレビュー・感想・評価

ダーティファイター(1978年製作の映画)
3.1
 サンフランシスコの田舎町。カントリー・ミュージックを聴きながら、トラック運転手ファイロ・ベドー(クリント・イーストウッド)は今日も仕事を終え、営業所に戻る。事務職の女の子との熱いキス、別の女の子には目くばせをするプレイボーイな姿。やがて呑み屋で一息つくと、2つ隣の見知らぬ男が食べていたピーナッツを盗み食いする。それに激昂した男を蹴散らし、何食わぬ顔で店を後にする。家に帰り、ビールを飲みながら離れに顔を出すと、凶暴化したチンパンジーの姿。先ほど持ってきたピーナッツとビールをチンパンジーにあげながら、男は満ち足りた表情を浮かべる。下宿の隣に住むオーヴィル・ボッグス(ジェフリー・ルイス)はママと、今日も何度目かの自動車免許取得試験へと向かう。ファイロはトラック運転手、オーヴィルは自動車修理工として働きながら、裏稼業としてストリート・ファイトに精を出している。小銭がなくなっては、人を殴って小銭を稼ぐ。今日も連戦連勝で気を良くしたファイターのファイロとマネージャーのオーヴィルは、カントリー・ミュージックの生演奏がある馴染みのナイトクラブに繰り出す。ビールを呑み、そろそろ帰るかというところに新入りの歌手・リン・ハルゼイ=テイラー(ソンドラ・ロック)が現れる。彼女の声、容姿にファイロ・ベドーの目は釘付けになる。やがて良い仲になった2人は夜の闇の中に消えていく。

『アウトロー』『ガントレット』に続く3本目のイーストウッド×ソンドラ・ロックの共演作。実際に私生活では『ガントレット』の撮影中から2人は良い仲だったらしく、ここでも仲睦まじい2人の掛け合いが微笑ましい。今作のソンドラ・ロックの造形は、これまでで最もファム・ファタールな女として造形される。朴訥とした歌声、色白の肌、ガリガリに痩せた体型、大きな瞳を併せ持った稀代の美女にファイロ・ベドーは一瞬で恋に落ちる。女には愛の醒めたプロモーターがいて、夢を盾に女を契約で縛り付ける。つまり籠の鳥状態をファイロにアピールするのだが、彼はハリー・キャラハンのように現実思考でなく、ロマンチストである。腕っ節の強い労働者階級の男ファイロ・ベドーには、女を不自由にする男の身勝手が許せない。翌日、チンパンジーに会おうと約束したリンのトレーラー・ハウスに向かうが、既にもぬけの殻でそこにリンの姿はない。ファイロは運命の女、リンを追い求めてサンフランシスコからコロラドへと車を走らせる。『ガントレット』にもソンドラ・ロックのあばずれぶりは垣間見えたが、今作の恋の展開は『ガントレット』とは真逆の方向へと向かう。あるいはイーストウッドの処女作『危険なメロディ』におけるジェシカ・ウォルター側の心の叫びとも見て取れる。ジェシカ・ウォルターもファイロ・ベドーもたった一晩だけの恋心を運命だと信じて疑わない。男女の違いはあれど、今作もそんな一方通行な思いが悲恋へと向かう。

イーストウッドの映画と言えば、『ダーティハリー』シリーズに代表されるように、全編オシャレで軽快なJAZZが流れるスタイリッシュな作風だったが、今作では土臭いカントリー・ミュージックにガラリと曲調を変えている。モテ男としてのイーストウッドの造形を、初めて冴えない男に変えた物語は、労働者階級を中心にアメリカ全土で爆発的なヒットを記録した。白人至上主義に異を唱え、これまでメキシコ系、先住民族、黒人とマイノリティばかりを相棒に起用してきたイーストウッド映画が、もはや人ではないチンパンジーを相棒にする本末転倒なブラック・ユーモア。早撃ちのガンマンとしてのイーストウッドの器用なイメージを封印し、自らは拳と拳の殴り合いに賭ける男を演じ、その代わり、バイカー集団に猟銃を撃ち込むのは年老いたオーヴィルのママさんという突拍子の無さ。途中、ファイロたちの命を付け狙う警察やバイカー集団の無能っぷりなど、様々な小ネタを要所要所に挟み込んでいる。絶体絶命の危機を救ったのが、オーヴィルの彼女エコー(ビヴァリー・ダンジェロ)というのも、気が強い女が好みなイーストウッドらしいシニカルさである。今作が何よりも痛快なのは、ファイターの顔を殴り、ダーティファイターにするのが、百戦錬磨のストリート・ファイターたちではなく、リンであるという事実であろう。『アウトロー』では気の弱い薄幸のヒロインを演じたソンドラ・ロックだが、その役柄は徐々に気の強さを増していく。今作はクリント・イーストウッドという俳優の型を破った一作であり、『ダーティハリー』の大ヒットを超え、これまでのイーストウッドのキャリア最大のヒット作となった。
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