カトマンズの掟

夕陽に赤い俺の顔のカトマンズの掟のレビュー・感想・評価

夕陽に赤い俺の顔(1961年製作の映画)
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当時の映画雑誌より、作品の背景について…
前年、城戸四郎から大谷博が社長に就任したことで、新しい松竹カラーを模索し「松竹ヌーヴェルヴァーグ」を推しだした。
しかし、それらの興行不振や『日本の夜と霧』騒動もあり、「ヌーヴェルヴァーグ」は社内で禁句に。代わりに好調だった『番頭はんと丁稚どん』のような喜劇路線に切り替えようとしていた。
その結果、ヌーヴェルヴァーグの旗手・篠田正浩による異色の喜劇『夕陽に赤い俺の顔』が生まれたのだった…

当時流行っていた無国籍アクション、和製西部劇などひっくるめたガン・ブームの中、「日本映画に当たり前に殺し屋が存在する」事を逆手にとった作品と言える。
同じ1961年2月公開された『紅の拳銃』にも同じように「殺し屋なんて実際にはいやしねえんだから。だいたい日本じゃあ殺し屋商売が成り立つ訳がない」と揶揄した台詞があったり、殺し屋と思われた主人公の正体が警察だったり、共通点があるが偶然だろうか。