KnightsofOdessa

蝶の夢のKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

蝶の夢(1994年製作の映画)
4.0
[会話を止めた舞台俳優とその家族たち] 80点

傑作。マルコ・ベロッキオ長編13作目。若き舞台俳優マッシモは14歳の頃から日常会話を拒否し、舞台上でのみ台詞を話す生活を続けていた。ある日、彼の舞台を観て感動した演出家がその事情を知り、彼の人生を舞台化するべく彼の母親に脚本執筆を依頼した。それをきっかけに、考古学者の父親、詩人の母親、物理学者の兄、愛に迷うその妻アンナはマッシモと向き合い、それぞれのアプローチで彼をどうにかして喋らせようと苦心する。しかし、マッシモは彼らには口も心も開かず、森の小屋に暮らす少女にだけ心を開いている。まるで80年代ベロッキオの描いてきた世代間の対立を凝縮したような抽象世界である。そこには始点と終点はなく、どのエピソードも唐突に始まって唐突に終わるように、ただマッシモが語らなくなった現在があるだけだ。何も語らない、或いはバンブルビーのように古典劇の引用句だけで会話を成立させようとするマッシモは、彼を喋らせようとする対話者たちの過去と経験を引き出させる意味で、対話者の鏡像なんだろう。こうなると映画の中に時間すら存在しないようにすら見える。常に幸せを探しているために苦しんでいるというアンナは特に多くの場面でそう感じさせる。浜辺でロマの男に出会うシーンでは、昼だったはずなのにいきなり夜になっていたり、マッシモが少女をバイクから降ろした瞬間に後ろに滑り込んだり、終盤の食事会では昼だったはずなのに次のカットでは夜になっていたり(フィトゥーシかよ)。原題"蝶の夢"はそのまま"胡蝶の夢"のことを指していると思うが、胡蝶の夢どころか全ての夢と現実が混ざっているように思える。ちなみに、母親を演じているのはビビ・アンダショーンだ。彼女は『仮面/ペルソナ』で話すことを止めた女優を演じていたため、同作への目配せか?というか、そのものか。これはベロッキオ版『仮面 / ペルソナ』なのか。
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