パングロス

黄色いからすのパングロスのレビュー・感想・評価

黄色いからす(1957年製作の映画)
4.0
◎復員が遅れた男の屈託とシートン少年の憂鬱

1957年 歌舞伎座製作 松竹配給 104分 カラー
スタンダード *若干コマ飛び、画面ノイズあり

五所平之助(1902-81)監督としては比較的知られている作品で、配信でも観ることができる。

1931年に日本初の本格的トーキー映画『マダムと女房』を撮った五所監督の初めてのカラー作品。
鎌倉彫の手内職で夫不在の家計を支える吉田マチ子(淡島千景)と息子の清(設楽幸嗣)、中国からの復員が遅れた夫の一郎(伊藤雄之助)の一家3人が、ともに主役だと言って良い、戦後の世相を反映した家庭劇だ。

【以下ネタバレ注意⚠️】




題の「黄色いからす」は、息子の清が描いたカラスの絵。
清は、たまたま江ノ島の見える湘南海岸の松林で、飛べなくなった子ガラスを見つけ、持ち帰って秘密裡に隣家で飼っていた。
父の一郎は、動物好きな清の思いを不潔だからやめろと理解しなかったからだった。
ところが、清は、母マチ子から留守中に赤ん坊の妹光子を世話するよう頼まれていたにも関わらず、外に連れ出したおかげで、上級生の悪童たちに乳母車をいたずらされて怪我させてしまう。
そのことを叱る父の前に、隠していた子ガラスが現れ、つかまって放たれてしまう。
そのカラスのことを思って描いた絵だったが、何故か、一面に塗りつぶされた黒の背景に、カラスは黄色一色に塗られていた。

‥と、これがタイトルになっているが、この絵が登場するのは本編の終盤。
だが、伏線として、本編冒頭に次のようなシーンが置かれている。

それより以前、清は、小学校の校外写生の時間に、鎌倉大仏を黄色の背景に、黒一色に塗りつぶして描き、担任の芦原先生(久我美子)に、何か問題があるのではないかと心配されていた。
芦原先生が、美術に詳しい村上先生(沼田曜一)に相談すると、最新の色彩心理学の研究によると、父親か母親がいないなど、家庭環境に問題がある児童(*)がこうした色使いの絵を描く確率が高いとの見解。
芦原先生は、吉田くんの家庭は、両親が揃っているし、いったい何が原因なのかと不審がる。
*現在から見るとこうした表現に伴う偏見自体が問題で当時のモラルの限界ではある。

いわば、これが全編の序にあたり、謎を提示する。

五所監督、初カラーの作品だからと、その特性を活かすべく考え出した、色彩で読み解く心理劇だという訳である。

そのあと時制がさかのぼり、母子が長距離列車で舞鶴に向かう。
父の応召時にはまだ産まれていなかった清は、舞鶴の宿で、マチ子から清に会えたらお父さんは喜ぶわよ、と言われて、期待に胸膨らませて床についた。
しかし、ようやく復員した一郎は、マチ子との再会は素直に喜べても、初めて会う我が息子には、どう接して良いか分からず、恥ずかしがる清を扱いかねている様子だった。

と、ここから、8年も我が家を不在にしていた一郎と、期待と違う実際の父親に違和感を隠せない清との溝が広がっていく、という家庭悲劇が丁寧に描かれていく。

個性派俳優たるがゆえに、いつも飛び道具的な脇役を担当させられる伊藤雄之助だが、本作では、復員が遅れたがゆえに社会復帰しても何事も順調に行かない、平々凡々たる30代の男の屈託を、まさに等身大に演じている。

妻マチ子の淡島千景のうまさは、いつもながら。
何もしゃべらず、視線だけで思いを伝える演技の確かさが素晴らしい。

息子清は、小津安二郎の『お早よう』の名演でも知られた設楽幸嗣(*1)。
我が強くて、いったん言い出したら、何も耳に入らないという聞かん坊ぶりは、ここでも同じ。
「少しは、君も反省しろよ」
と正直言いたくなるほどだが、我が身を振り返ると、自分の少年時代も、結局同じだったんじゃなかったかな、と思い始めたら、他人事ではなくなった。
*1 作曲家武満徹の甥で本人も長じて音楽の道に進んだとのこと。
参考:2019.12.16
【おはようサタデー】ゲストは作曲家・編曲家 設楽幸嗣さん
musicbird.jp/cfm/news/2302/

そう言えば、自分も小さい頃、烈火のごとく怒る父親に、「言うこと聞かない奴は、外で反省していなさい」と締め出し食ったこともあったよな、と幼少時のあれやこれやを急に思い出したりした。

今や、父親の一郎の思いの方も、我が事のようによく分かる。

息子も反省が足りないし、父親も子どもへの基本的な接し方をどこか間違えている。

2人とも悪くはない。
悪くはないが間違っているのだ。

泣いた。

終盤、父子が大きな決裂を2回繰り返すのだが、2度ともに泣けた。

息子にも事情があれば、父の方も言うに言えない事情を抱えているのだ。
本作では、徴兵、大陸での従軍、遅れての復員、浦島状態で接する家庭と会社での軋轢と、「戦後日本」が抱えていた課題が伊藤雄之助の姿に投影されている。
だが、こうした父子の行き違いは、いつの時代も、どの家庭にもあったことではなかろうか。

1回目の決裂の際は、父親は深酒で酔ったまま、清を叱り過ぎたと、翌朝になって反省する。
室町時代、世阿弥が手を入れたことで知られる能『丹後物狂』では、成相山での稚児修行から久しぶりに里帰りした息子花松を酔った父親が叱り飛ばし、花松は天橋立の淵に身投げしてしまう。酔いが覚めた父親は、そのことを知って、物狂いとなって息子を探し求める(*2)。
いつの世も、父と子の仲は、難しいものだった、ということなのかも知れない。
*2 能「丹後物狂」とは
www.amanohashidate.jp/nou/about.html

父の復員で、かえって混乱する吉田家に対して、隣家に、鎌倉彫の工房「博古堂」をひとり采配する松本雪子(田中絹代)がいたことは何よりの幸いだった。
すぐに怒って正論を我が子にぶつける一郎や、本来キッパリした性格ながら、復員したての夫に気兼ねして意見できないマチ子に対して、雪子は、酸いも甘いも噛み分けた訳知りらしく、子どもたちの言うことに必ずひと呼吸置いて上手にあしらう知恵を身につけていた。
名優は、脇にまわっても名優だ。この役を田中絹代が確かな演技で説得力のあるものにしてくれたおかげで、本作は、彫りの深い、懐の広い作品となっている。

本作は、アメリカの第15回ゴールデングローブ賞外国語映画賞を受賞した。
いかにも原作がありそうだが、映画オリジナルだという。
脚本は館岡謙之助と長谷部慶次、また特にセリフ部分には戦後初の芥川賞を受賞した作家、由起しげ子が協力した(*3)。
*3 笹尾佳代
五所平之助監督作品 『黄色いからす』・『挽歌』のシナリオ執筆一
kobe-c.repo.nii.ac.jp/record/5431/files/201703_031-05.pdf

由紀しげ子による脚本訂正作業の丁寧さを見ても、五所監督の本作にかける思いの深さを知ることができる。

同じ戦後日本の社会の荒波に揉まれる男の屈託を描いても、市川崑の『プーサン』の伊藤雄之助よりも、小津の『宗方姉妹』の山村聰よりも、五所平之助は、その男の心理を丁寧に描き共感できる形で提示してくれる。
そして、『プーサン』の混乱のままの投げ出しや、『宗方姉妹』の突然死などのような不条理に逃げ込まず、和解と希望のベクトルを用意して幕を閉じる。

1952年の『朝の波紋』(2024.3.1 レビュー)でも敗戦直後の日本の窮状を描き出すとともに、野良犬を愛する父母を失った少年を優しい視線で描いていた。
この時期、五所平之助が松竹系ながらマイナーレーベルの歌舞伎座プロダクションに在籍していたのは、同プロがGHQによるレッドパージを受けた左翼文化人の駆け込み寺的な存在だったから、という見方もあるようだ(*4)。
*4 映画の國
コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 レッド・パージを生き抜いた男 Text by 木全公彦
歌舞伎座プロ
www.eiganokuni.com/kimata/93-7.html

奇しくも、非共産党員ながらアメリカ政府による赤狩りの対象となったという意味で、五所平之助とオッペンハイマーには思わぬ共通性があったことになる。
だとしても、五所は、決して教条主義的な左翼性に陥ることなく、逃れられない社会の矛盾や人間の限界性のなかで、精一杯に生きる市井の人びとを暖かく見つめ、その内奥の感情に迫ることができる、厳しくも優しい視線の持ち主だったと言えるのではないか。

芥川也寸志の音楽も、時にやや過剰に感ずるところもなくはなかったが、やはり素晴らしかった。
特に芦原先生が清にプレゼントしたオルゴールを楽器が模して演奏されるフレーズなどはエモさを感じさせ、感動を倍加させていた。

そうそう、空に飛び立つカラスの特撮、あれだけは円谷英二に任せたら良かったのに、と正直思った。

誰もが身に覚えのある、愛あるゆえの家族の桎梏を描いた名作である。

《その他の参考》
*5 「黄色いからす」で検索
ja.m.wikipedia.org/wiki/

*6 【作品データベース】黄色いからす
www.shochiku.co.jp/cinema/database/03065/

*7 黄色いからす
1957年2月28日公開、103分
moviewalker.jp/mv25008/

*8 大衆文化評論家指田文夫の「さすらい日乗」
『黄色いカラス』
2007/9/23
sasurai.biz/0001023.html

*9 ふらり道草―幻映画館―
幻映画館(83)「黄色いからす」
2010/11/23 14:24
blog.livedoor.jp/michikusa05/archives/51522940.html

《上映館公式ページ》
京都府京都文化博物館
【生誕100年記念】映画女優淡島千景特集
Date
2024.4.2(火) 〜 5.9(木)
www.bunpaku.or.jp/exhi_film_post/20240402-0509/
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