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ELECTRIC DRAGON 80000Vの教授のレビュー・感想・評価

ELECTRIC DRAGON 80000V(2000年製作の映画)
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ようやく石井聰亙監督作品の、ストレスのない楽しみ方を覚えたという感触。

ここまでにレビューしてきたように僕は映画の持つアート性みたいなものに自覚的になったのは石井聰亙監督の作品からなのだが、僕の人生のある時期からは、その「アート」と括るには(もちろん何の問題もないことは前提として)、程度として少しであったり、あるいは致命的であったりする「俗っぽさ」と「ステロタイプ」なディテールが目立つように感じてきた。

例えば本作で言えば、ストーリーだったりディテールは非常に塚本晋也監督の「鉄男」に酷似していたりする。
そこをかなりスタイリッシュに、そしてポップに、ある種「コミック」的にコラージュしてもいる。

…加えてそのコミック的なキャラクターである龍眼寺盛尊(浅野忠信)と雷電仏像(永瀬正敏)の対決。
そこに「電気」「エレキギター」「怪電波」「爬虫類」と人間の内なる精神に宿る「龍」の力。
サナトリウムだか、研究室だか…とめどなくそのステロタイプなモチーフ、ガジェット、ディテールがてんこ盛り。

それらは既視感の寄せ集めであるにも関わらず、今回改めて観て、過剰に詰め込まれたこの世界観こそは唯一無二だ。
そして、この凡庸なコミック的なブロマンスアクションの展開。
「なんでオレを怒らせた?」「怒ったお前に会いたかったんだよ」と挑発からの「もっと!もっと!もっと!」だの「滅ぼせオレとお前だけの悪魔を」だの「テメーだけ滅べ」だの。
気恥ずかしくなってくる。

しかし。そもそもが全て前振りのバカバカしさは織り込み済で、その気恥ずかしくなる対決に至る盛尊の覚醒シーンの「ブチ上がり」の最高潮を見せてくれているので、本作はもう「勝ち」だと思う。
石井聰亙的絶頂の象徴でもあるし、映画においてももっと動的に機能する「走る」シーンにおいて、映画的表現が血走ってくるわけで、それ以上もなければそれ以下もないのだ。
映画にはその「瞬間」があればいいという確信すら感じてしまう。

その「ブチ上がる」というエモーションを積み上げつつ、それは「下がる時は下がる」と言わんばかりの単調な対決シーンの「微睡」感の最後に、これまた「キン肉マン」におけるウォーズマンのような荒唐無稽な「算数」的計算式による勝利のロジックにも呆れつつ高揚するし、ダメ押しの吹き飛んだ仏像の半面に刻まれた可愛い文字で「またな」という茶目っ気と独特過ぎる斜め上のユーモア感覚にこれまた「もうダメだ」という気分と同等の「やり切った」という感じを受け、毎回石井監督はそうなんだな、と思った次第。

これは酷評的な意味ではなく、真の称賛として「本気のバカ映画」であるし、実に清々しくバカだとわかっちゃいるけど、それを常に創作の中心に据えて考えてしまう…という石井聰亙というフィルムメイカーの独自性みたいなものが、本作を観て明確になった。
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