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空飛ぶ生首のhorahukiのレビュー・感想・評価

空飛ぶ生首(1960年製作の映画)
3.3
記録です。

大きくならないBIG作品。幽霊は多少?大きくなっていたけれど。トムが自分で語ってしまっていたように、自身の罪悪感が見せる幻としてヴァイが存在感を高めていく心霊表現を序盤からひたすらに繰り返している。リュートン系列の表現を改変(改悪)したといった趣きで、それでいて超常的可能性を指輪によってラストに示すことで古典怪奇小説的な味わいも醸し出しているが、罪悪感が見せる幻だと認識しつつもあれだけの頻度でヴァイが現れていたのだから、死後に結ばれるようヴァイが画策した(幻だと思わせた)幽霊映画と見るのが良いのかもしれない。エリスも感知できていたし。死が生を呼ぶ声が聞こえる場所であるという島の伝説を冒頭で語っていることを考えても、呼ばれたということなのでしょう。

その生と死の狭間の場所であることを印象付けるのは、冒頭、浜辺の強烈な黒と波に反射する光の対比。その境界線は、はっきりしているように見えて波とともに揺らめいている。その傍には灯台が鎮座し、もう機能していないために死の空気が漂っている。近づいてはいけない場所であるとされていることからも禁忌のイメージが付き纏い、死と禁忌を纏った闇の象徴である灯台に何者かを招くように光が灯る。この辺りの怪奇的美学は非常に素晴らしいと思う。視力を失ったエリスと視力では感知できない幽霊の組み合わせは古典的ではあるけれど、ムードは上乗せされているし、エリスの存在とサンディの無垢存在が本作の作劇的なポイントになっている。

その後は、レコードや指輪等々、BIG監督の遊び心溢れる演出が矢継ぎ早に並べられ、流石にやり過ぎ感が強く胃もたれを起こすほどだが、この滑稽さを滑稽であると自覚的に振る舞っているのがエリスの灯台での顛末や本作のラストシーンに至る意図からも明確にされているし、BIG監督のらしさでもあるわけで、こういうのがないならばBIG監督作である必要もないから大正解なんでしょう。

ただ、画面が固定化されてしまっていてほとんど動きがないために退屈に感じるシーンが多い。クライマックスの花束を枯らしていくようなものがもっと見たかった。


書き殴ってるだけなのでコメント等スルーお願いします🙏
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