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幸福(しあわせ)のgintaruのネタバレレビュー・内容・結末

幸福(しあわせ)(1964年製作の映画)
3.7

このレビューはネタバレを含みます

モーツァルトのクラリネット五重奏曲がこの映画全編を通じて効果的に使われること、そしてこの名画がこの名曲の解釈を提示しているとさえも言えるというような解説を読んで以来、いつか見たいと思っていた映画。
ヌーヴェルバーグの映画らしい演出がいっぱい。カットバックやフラッシュバックが多用され、1960年代の映画らしいサイケデリックと言えるほどのビビッドな色が効果的に使われている。それらは見る者に様々な感情を喚起し、多様な解釈の余地を与える。

フランソワは美しくて優しい妻のテレーズと二人の子どもに恵まれ、幸せな家庭生活を送っている。ふだんは叔父の経営する建具屋でまじめに働き、休日には家族そろってピクニックに出かけるような幸福な生活だ。
ある時彼は郵便局で働くエミリーと恋に落ちてしまう。
エミリーはフランソワが結婚していることを知っているが、彼の家族に干渉する気はなく、愛してくれさえすればよいと言う。
フランソワはこうして二人の女を愛する幸福な生活を送る。
一か月ほど経ったある日、いつものように家族でピクニックに行ったとき、フランソワはテレーズから最近うれしそうと言われ、エミリーとの関係を告白する。彼はどこまでも正直なのだ。
テレーズは少し戸惑った表情を見せるが、フランソワを許すような態度を見せ、その後二人は草むらで愛し合う。
その後フランソワが眠りに落ち、子どもの声で目を覚ますとテレーズがいない。探し回った挙句、フランソワが見たのは池で溺死した変わり果てたテレーズの姿だった。
親族間で子どもをどうするか話し合われるが、結局フランソワはその後もエミリーに会いに行き、結婚することになる。子どもも彼らの元で暮らすことになる。
フランソワは妻がエミリーに変わっても相変わらず勤勉に働き、休日には家族でピクニックに行くという幸せな生活を送るのだった。

ストーリーは以上のようなもの。フランソワにとってはほぼ理想的な幸福な生活と言えるのではないだろうか。エミリーとの浮気が発覚すれば、テレーズは都合よく亡くなってくれて、エミリーも躊躇なく結婚してくれ、子どもも新しい母になついている。
しかし、フランソワの浮気を非難し、そのあまりにも無邪気な態度に嫌悪感、さらには恐怖さえ覚えるという人もいるようだ。
確かに自分もそのうちフランソワに罰が下る展開になるのかなと思いながら見ていたが、そんなことはなく、いつまでも幸せな暮らしぶりが映されるだけだった。
しかし、考えてみればまだ一夫多妻制が認められているイスラム圏の人々にとってみれば、フランソワの行動に非難すべき点はないという見方もできる。
一般的には、一つの幸福の裏側に悲劇が潜むという皮肉が描かれているというのがこの映画の解釈になるのだろうか。
結局監督のアニエス・ヴァルダはこうした多角的視点を提示することにより、観客の既成概念を破壊するとともに、観客に忘れがたい複雑な感銘を残すことに成功していると言えるだろう。

なお、劇中音楽ではモーツァルトのクラリネット五重奏曲と並んでアダージョとフーガK546が使われている。クラリネット五重奏曲が穏やかで幸福な情景を描写するのに対して、アダージョとフーガが得体のしれない不安感を感じさせることに効果的に使われている。

ところで、テレーズが溺死したのはなぜかという疑問だが、一般的には突発的にフランソワの浮気を悲観して自殺したという説が主流だろうし、もう一つの考え方としては茫然としてうっかり足を滑らせて池に落ちてい待ったという考え方になるだろう。
だが、私はもう一つ、エミリーに殺されたというサスペンス的な説も挙げておきたい。なぜならテレーズの死後、フランソワがエミリーに会いに行ったとき、彼女はすでにその事件を聞いていたと言っており(これはニュースで知った可能性もあるが)、さらに子どもたちの顔も知っていると言っているのだ。私は妙にこのセリフが引っかかった。エミリーと子どもたちの接点は映画を見ている限りありえない。そしてまんまとフランソワの後妻になることに成功している。
まあ、こういういろいろな見方をして楽しめるのがこの映画のいいところだと言えるだろう。
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