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幸福(しあわせ)のSPNminacoのレビュー・感想・評価

幸福(しあわせ)(1964年製作の映画)
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久しぶりに観て、やっぱすごい映画だ。タイトルバックのひまわり、ひまわり、そこに止まる虫、遠くから近づいてくる赤い服のぼんやりとした人影…既にホラーである。続くピクニックの家族は子どもが赤い服だけど、夫妻は違う。では、あの人影は誰なんだろう。
画面のあちこちに予兆を読み取ってしまう。花束、ウェディングドレス、おが屑の山を前に煙草に火をつける夫フランソワ、ライターの火、焚き火、娘の言葉と赤い服から沈む太陽、「モローとバルドー、どっち?」からのピンナップ、頻繁にスイッチする赤と青。
青は浮気相手エミリー、赤は妻テレーズと子どもたちのいる家庭。でも2つの幸福は同じに見える。沢山のひまわりの中で一つを識別できないように、テレーズとエミリーはよく似てる。他所にもそれぞれ幸福そうな家庭生活がある。どれも掴みどころない幻。あの人影はいつどこの誰だったんだろう。
本当に怖いのは幸せの青い鳥が去ったことより、エミリーが赤の女になるところだ。妻(母)は手という記号、反復する日常。ウェディングの記念撮影が妻不在の家族写真へ、森は夏から秋へと移り変わる。そして手を繋いだ4つの人影が遠ざかっていく。完璧な円環にゾッとする。
素早いカットバック、モンタージュする編集がたまらない。踊るように向きを入れ替えながら重なる身体、マジックのようにパッと消えては現れるイメージの断片が、色彩や言葉や軽やかな音楽と連動するリズム。街頭や電報の文字がまた、計算されたデザインなんだよな。(子役があんまり自然にパパーママーと懐くので、どうやって演技させてるの?と不思議だったが、主演俳優の実の子だった!)
すべての要素が美しく調和した中で常に薄っすらと感じさせる不調和。不倫浮気を罪とするのではなく(夜の場面はなくて後ろ暗さもない)、あまりに漠然としてあまりに屈託無く明るい幸福という概念が既に罪作りなのだ。
ヴァルダはすごい。誰でもヴァルダのように映画を撮れたらいいのに。
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