Keiseihhh

ルパン三世 ルパンVS複製人間のKeiseihhhのレビュー・感想・評価

4.3
あくまで個人的な主観が入るが、僕にとってはルパン三世と言えばこのマモー編。ルパン三世が仲間も友情もそして信念をも失いかけながら、不二子のためにも最後の戦いを挑む。その相手こそ西洋科学、西洋哲学、西洋思想を至上とする人物に造形されたマモーである。この作品、仲間割れするルパン一味やそれでもルパンに食らいついてくる銭形。それにあいも変わらず気まぐれ、だがルパンを結局のところは最後に選ぶ不二子などルパンファミリーの見せ場満載なのだが、この作品の最大の肝はやはり史上最強の敵役マモー。彼のためにこの映画はあると言ってもいい。それほどこのマモーという人物の思想性、造形は重々しく生々しい。そしてもの悲しくも崇高であり、凄絶である。彼が古の賢者の石に頼ってまで求めた不老不死が不可能だと悟り、燃え上がる西洋絵画のもと涙するシーンは、敵役でありながら主役であるルパンを脇へ追いやるほどの訴求力がある。そう。このマモーの人物造形は当時の日本の歴史的背景、特にアカデミック、インテリジェンスな分野における情勢が影響を与えていたことは間違いない。マモーとは戦後30年以上が経ち、西洋に追いつけ追い越せと丸々西洋化していった、悲しくも同情すべき一部の感度の強い日本人、一部の高度に知的な日本人へのオマージュ、敬意であり、また軽度な戯画化であると言っても差し支えない。対してこの作品におけるルパンは頓知や閃き、明快な合理主義なども相まって、痛烈な神秘主義を漂わせるマモーとは完全に相対している。つまりこの映画は神秘主義と迷妄的哲学(そこに西洋科学も含む)で形成されたマモーと、日本的合理精神、短絡主義の代表格を演じるルパンとの壮絶な戦争である。加えて言うならばこの作品でルパンは徹底した合理主義、進歩主義を支えにしているのは間違いない。ラスト近辺「俺は夢を取られちまったからな」と口にするルパンに次元が訊く。「夢ってのは女か」と。対するルパンの答えは「実際クラシックだよ、お前さんは」であった。そう。ルパンが最後の戦いで取り戻すべき夢とは最愛の人、峰不二子だけではなく、彼の進歩的合理主義、あるいは全て世界の謎は解けるという一種の楽観性でもあった。だからこそ冒頭僕は不二子のために「も」と書いたのだ。神秘思想や西洋チックな迷妄哲学に抗うためにもルパンは、無敵とも言えるマモーに対峙する。ここから先は作品をぜひご覧になってほしい。その結末には息を飲むだろうから。そしてルパンとマモーの対決が終わったあと、極めて前近代的日本の発想、行動力を持つ銭形が登場する。ここで観賞者である我々は限りなく日本独特の土壌、価値観が西洋の亡霊に勝利したことを知らされる。同時にこの映画は、日本の土着的価値が失われていく時代において記念碑的にルパン一味が、引いては日本が、日本人が西洋に勝利する映画でもあるのだ。しかしそれは幻影であり幻想である。そのことを知らせるためにもEDで故三波春夫の「ルパン音頭」が流れるのである。ここで観客は現実に戻してもらう。また辛くも儚く、勝利など程遠いかもしれない日常での些事に帰して貰うのだ。この作品は瞬く間に文物思想ともに、西洋化あるいはアメリカナイズされていく日本において、最後に輝きを放った明治、大正そして昭和の大衆的価値観のためのレクイエムであった。そして最後のあだ花だったとも言えるかもしれない。その証拠の一つと言っては何だが冒頭銭形の言い放つ「貴様のほぞに戒名を刻んでやるぞ!」というセリフなど随所に日本語の使い回しの巧さや知恵の面白味が見られる。閑話休題。私たちはこの映画を見て一度は日本人に帰り、日本人であることに誇りを持つ。だがしかしその背後に100年単位で変わるべきことが1年単位で変わっていく先進諸国、近代国家の嵐のような驚異を、映画を見終わったあとには悲しくも実感せざるを得ないのだ。
ルパンVS複製人間。この一作は紛れもない渾身の作品であり、日本大衆文化の逆襲と銘打ってもおかしくない映画である。またこの作品を最後にルパンファミリーは、日本の大衆娯楽を代表する存在であるのをやめる。これからは宮崎駿のカリオストロの城が完成させたエンターテイメントルパンの時代が始まるのである。よってこのVS複製人間は、事実上ルパン三世の最初にして最後の映画作品であると言っていいかもしれない。間違いなく傑作である。

しかしもちろん欠点はある。脚本の中だるみ、推敲の落ち度。アラを探せばキリがないだろう。だがそれを超えてでもこの作品は評価に値する。よって至上のエンターテイメント、カリオストロと並ぶ4.3を差し上げたい。この長文を書いて僕の腫れ物が何か一つ取れた気分だ。何かをやり遂げた感慨がある。それほどこの作品は一人の人間を半生に渡って突き動かし魅了し支えもし、また行き過ぎた感化をもたらすほどの映画だったと言えるだろう。前期の魂剥き出しのルパン三世はこの作品で死に、この作品を境に商業利用されるルパンの時代がやってくるのである。
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