このレビューはネタバレを含みます
“人生はチョコレートの箱のようなものあけてみないと分からない”
最高に好きな作品でした。しかし、何回か鑑賞していくうちにちょっと気になるところが。最後の方に理由を書きますので長いですがお暇な時にでも読んで下さい。
知能指数が人より劣るフォレスト、母の言いつけを守り懸命に人生を駆け抜けていく。
そのひたむきで純粋な姿勢は人々を幸せにしていく。
オープニング、フォレストはバス停のベンチに座っている。
そこへ、ひらひらと白い羽が舞い落ちる
ラストでも同じ描写がありますがこの羽の意味するところは何でしょう。
人生とは所詮風まかせ、やってみないと分からない そんな事を示唆しているんでしょうか。
この作品はアメリカ現代史を知っておくとより深く楽しめる作品になっていますね。フォレストの人生の変遷がアメリカの歴史に於いて重要な事柄とリンクしていく、面白いストーリー構成になっています。
いじめられっ子時代、最愛の人ジェニーに出会う。
大学生、アメフトの全米代表に。
ベトナム戦争従軍。
卓球の才能の開花。
エビ採り業。
アメリカ大陸横断。
愛する人との再会と別れ。
フォレストは常に誠実に自分の出来る事をやり遂げ愛する人たちを守ろうと努力します。
そして不思議な事に、彼の愛は巡り巡って自分の元へ返ってくるのです。
またその過程でケネディやジョンソン、ジョージ・ウォレスやジョン・レノンなどと対面するという面白い演出もあります。
フォレストは一途に一人の女性を愛し続けた。もはや生き甲斐とでも言えそうな無償の愛。愚直に愛し続ける事で彼の愛はジェニーに届く。
しかし…。
長々書きましたがもう少し書かせて下さい。以降はこの作品を再見して引っ掛かった事について書きたいと思います。
フォレストは“純粋”に生きていった結果幸福を手に入れる。
さて、その一方、ジェニーの人生はどうでしょうか?
虐待され、街を追い出され、反戦運動に参加し、セックス、ドラッグ、ロックンロールですよ。
んで、しまいにゃ、その代償を払うかの様にエイズです。
何が言いたいかと言うとこの作品でのフォレストとジェニーはまるで対の様に描かれているんですね。
それはまるでアメリカの「光」と「影」を見ている様です。
フォレストがアメリカの理想ならジェニーはアメリカの負の歴史を体現しているみたいに映ります。
では、カウンターカルチャーである反戦運動は過ちだったのか?
ベトナム戦争の描写も含めてフォレストの歩んできた道がアメリカの真実だったのか?
フォレストにとって都合の良い事件ばかりを抜粋していないか?
そもそも、アメリカの重大事件に都合よく立ち会っているのに、アメリカ史でも最重要であるはずのキング牧師、公民権運動を描かないのはなぜなのか?
言い訳めいたセリフもあったけれども、名前の由来がKKKの指導者からってのはどう捉えればいいのか?
どうにもフォレストはアメリカの保守思想な人たちの理想の代弁になっている気がして仕方ありません。
この作品を観て「あの頃は良かった」とノスタルジックに浸っているのは、そういう人たちなんじゃないか?
僕も初見時には涙を流して感動したんですよ。大好きな映画でした。
ただ何回か観ていくうちに、どうしても政治的なバイアスがかかっていると感じられる気がしてならないんです。
と、いった訳で
この作品の評価は僕のなかで今は揺らいでいるというのが正直なところ。
“純粋”に楽しめない気がしています。