キリスト教的、アメリカ的世界観。
神がいるか、いないかそれを信じられるかで感想がガラッと変わりそうな作品。
94年上映で少し前のアメリカ史をざっくり振り返っており、当事者国からするとめちゃくちゃエモかったのだろうが、他国からすると少し冷める。
同じことはグリーンブックを観た時にも思った。
キリスト教世界では神が作った世界の中で自分にあらかじめ定められた運命を探すのが人生だとされる。
最初のカットで示された風に舞う羽がそれを象徴的に暗示する。
避けられない運命。天職と呼ばれる仕事に出会うか。それは全て神のみぞ知る。
人生そうは上手くいかないよなあと少し冷めた目で観てる自分もおりつつ、フォレストのひたむきさに少し恥ずかしくなる。
とはいえ、
幼馴染みのジェイニーとフォレストが対比的に描かれており、いやがうえでも鑑賞者が自身の人生について向き合うことになる。
フォレストが与えられた場所でひたむきに頑張り、ただただ自分にできることをやっていくのに対して、
ジェニーは環境のせいにして、逃走し、外部的刺激(男、クスリ、セックス)に頼る。
最期はエイズで死ぬ。
理想に生き、70年代ヒッピームーブメントの終了とともにジェニーは死ぬ。
それでもフォレストは母親や親友が死んだ時にすらみせなかった涙をジェニーに見せる。
気づけば彼のまわりには死ばかりが転がっていた。
ここで第一次世界大戦に従軍し、戦友の死を間近に目撃した哲学者
ウィトゲンシュタインの言葉を引用したい。
「私は知る 、この世界があることを。世界の意味が世界の中になく 、その外にあることを 。生が世界であることを 。私の意志が世界を満たしていることを 。世界の出来事を私の意志によって左右するのは不可能であり 、私は完全に無力である。」
人生は仕事や人間、何と出会うか自分でコントロールできないものだらけだけど、そこでひたむきに頑張ることはできる。
たまたま成功することができたフォレストだったが、こんなに上手くいくことは稀だ。
それでも僕たちは死を想い、その場で全力死力を尽くす。
これは簡単なようでなかなかできない。
「小賢しく生きてねえか?」
そうこの映画は問いかける。