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リラの門のotomisanのレビュー・感想・評価

リラの門(1957年製作の映画)
4.5
 ひとの役に立ちたいと願ってもろくでなしのジュジュではなあ、フォアグラを食いたいと聞けば店からかっぱらってでも食わせてくれる。ありがたいのか迷惑なのか。こんなだから人殺しと聞かされても頓着しない?お前も知ってる誰それを殺したピエロだぞと告げられたら態度も変わるんだろうか。
 "芸術家"の迷惑を余所に殺人の逃亡犯ピエロを匿い甲斐甲斐しく世話を始めるやジュジュの様子が妙に真っ当に感じられるのは悲しいほどだ。この馬鹿なふるまいを好きな酒場の娘マリアにも打ち明けたくても義理が邪魔するもどかし気なのが最早付き合いきれない馬鹿っぷりでどやし付けたくなるのだが、そんな気にさせるあたりがクレールの魔術と云うべきか。
 この大バカ野郎の大踏み外しが良い方に転がるわけがないのにジュジュの馬鹿に付けてやる薬が見当たらない。好いた弱みの口軽で、結果マリアをピエロに近づけたジュジュは間違いなしの大バカ野郎だ。しかし、それでも奴はひとに高いも低いも設けはしない。しかし、お蔭でピエロに身もこころも許してしまったマリアはジュジュを最早同じ目線に眺めてはいないし、もとより、ピエロはジュジュを飼い犬ほどにしか感じていない。たぶん、その事をジュジュは最後まで気付きはしないだろう。
 散々尽くして放り出されてもピエロのマリアへの不実さえ示されなければ監獄の中、獄門台まで秘密を背負い込んでいったんだろう。物語りが告げないこの先の愁嘆場でもジュジュはマリアを思い遣り、マリアがピエロ殺しのジュジュを撥ね付けてもそれは変わるまい。きっとそうに違いないと"芸術家"は思っている。裁判官もこんなジュジュを思い遣るだろうか、脳足りんが痴情の縺れで、とでもみて酌量するんだろうか。我々も短い付き合いだがジュジュの先が知れた苦悩の果てが想像に難くない事を"芸術家"が告げてしまわぬうちに、さっさと酔って潰れてしまえといってやりたい。

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(あるレヴューに)
 だが、その憎めないジュジュがピエロを殺し、マリアの嘆きを買うんだぜ。も一度よくごらんよ。

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(あるレヴューに)
 ピエロがどんな人間か推量すれば"芸術家"の態度は当然で、それでもジュジュを立て続けるあたりが"芸術家"の情味という事だろうね。
 最後、なにがあったかは硝煙の臭いで察しを付けただろうが自首もなにも勧めない。いづれ警察が当たりを付けて来るだろうけど、どこまでも付き添ってやるんだよ。
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訳の分からないコメントしてこないでください
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 暑い中もうしわけない。
 "芸術家"は決して薄情なわけではないんだが。しかたないね。
これで切り上げます。失礼。

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(あるレヴューに)
 刹那を生きるピエロは、鬼と化して人を殺める深さとは無縁だろうね。弾に当たった奴が間抜けというくらいの省みはするんだろうが。それでも、いい女なら平気で生かして泳がすし、靡かすつもりで誘いにお出ましにもなる。情の薄さも激しさも人並み以上だが立派にひとの内だろう。
 対するジュジュは、裁判官なら情状の一端として痴情の縺れくらいに認めてもらえるだろうか、それともマリアへの思い遣りを酌んでもらえるだろうか。きっと、"芸術家"が行けるところまで付き添ってくれるだろう、と願うな。
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