かめしゃん

氷の接吻のかめしゃんのレビュー・感想・評価

氷の接吻(1999年製作の映画)
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メモ

スノードームの演出
螺旋階段
ジタン
コニャック

「君は存在しない」の台詞
自覚あるのか、すこし怖い!ってなった

死んでるのは寧ろ主人公なのでは(この予想はハズレた)

主人公が、職務上の裁量権を大きく超え、私的な追跡を行うところが面白い プロとしてあり得ないとか「現実的じゃない」とかお呼びじゃないわけです
感情移入する対象が悪いことをしないとサスペンスにならない 品行方正は要らない
なんと言うか、細かい部分がどうでも良くなる そこが不思議な塩梅です

仔細に古くて心配になったが、娘のファンタジー要素のお陰でなんの問題もなくなった
それが効果を上げている つまり、大筋が仮にトンデモ展開になったとしても、「娘の幻影を追いかけたい」という強い動機もまた同時進行に生まれているからです

彼は物語の最初から、常人の精神状態になく、あの世界すべてが彼の内的な世界かもしれない、それを見せられている感覚になる すべては超常かもしれない そうなると現実(うつつ)のルールなど存在し得ません ブラウン管が古くさ過ぎるとかも最早気になりません すべては彼の内的時代に固定化されます

私は、勝手に、主人公の彼の方が逆に死んでいて、彼女の登場によって幻想の世界から現実に干渉しだした物語、なのかと思って見ていたので、勝手に楽しめた あの空想の少女が、実際に成長したのがあの女の人なんだと思ってみていた(時計塔のあとからは登場しなくなる) 
つまり、死んでいる父親が、犯罪に手を染める実の娘を(今回こそは)何が何でも庇護すると決意し、生命力を取り戻した(死んでるけど)、みたいな大筋なんだと

ただ、本当に作者が伝えたい真意が他にあるのなら知りたい 自分にはそこまでの読解力は無かった
完全に他人の女を、自分が失ってしまった娘と強力に結びつけてしまった男の物語、という点では合っているとは思うのだけど…

総括
たぶん、主人公がイカレていたのは、「いつまでも追跡を続けることが出来る彼女」を愛していた、ということ
だから所帯に入ることを妨害する だからキスしたいとか抱きたい、にならない いつまでも追跡することが彼の自分勝手な幸福だった

ところで、ユアン・マクレガーとファンタジー要素を最初に結びつけたのは誰なんだ
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