Kaito

カリスマのKaitoのレビュー・感想・評価

カリスマ(1999年製作の映画)
4.0
Amazon primeにて見放題作品として配信されていたため、鑑賞。黒沢清監督作品第6弾。人質と犯人の両方を助けられなかった刑事藪池(演:役所広司)は森へとやってくる。そこにはカリスマと呼ばれる木がありその木は毒素を出しておりそれにより周りの植物も枯れているのだそう。このカリスマを巡って争いが起きるという話。ストーリー自体もあまりはっきりせず抽象的なので理解するのが難しい。しかしながらカリスマという木はおそらく何かの喩えなのだろう。では一体何の喩えか。それはカリスマと森との関わりから見ると比較的分かりやすい。カリスマは毒素を出しておりその毒素は他の木も枯らしてしまう。カリスマを優先するか、森を優先するか。作中で「生きる力と殺す力は同一だ」といったような内容のセリフがあった。生きることと殺すことは言葉の意味としては逆であるが、生きるためには何かを殺さなければならないので同一だと説明される。カリスマは燃やされ、その後に藪池が別の木をカリスマだとして育て始める。しかしその2つ目のカリスマを巡ってまたも争いが起きる。森で生命が循環するのと同様に争いも循環するのだろうか。そして人々は争いから自由になれるのか。またカリスマ=個人、森=社会と考えることもできる。良い社会を作るために1人の個人をいなくすることが許されるか。この話の中での「世界の法則」というものは生態系のことを指すのではないか。2つ目のカリスマを爆破すると新芽が出てきた。これは新たな生命の誕生であり森に法則が戻ったということを表している気がする。最初のカリスマによって森の秩序は保たれていたのだが、燃やされたことにより秩序(=法則とも言える)がなくなる。それにより人間は争い始める。カリスマは秩序を司っていたのである。秩序を保つためには犠牲が発生する。それがカリスマの出す毒素である。そして最終的に藪池自らがカリスマとなり次のターゲットを町に見据えてストーリーは終わる。以上が私の考えだが、実際のところこれには答えがないので見た人は是非考察を教えていただきたい。黒沢清監督はある事物を別の物や考え、概念、メタファーを用いたりして間接的に描くのが上手い。CUREは人間の精神について、カリスマは法則と秩序について。しかしながら抽象的でもあるのでどうしても難しい、訳が分からないといったような印象を持たれがちだ。しかし刺さる人にはとことん刺さる。大衆にウケる作品よりも一部の人に痛烈に刺さるような作品にこそ映画の本当の魅力というものは存在する。
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