猫エッグ

カリスマの猫エッグのネタバレレビュー・内容・結末

カリスマ(1999年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

初めの方は難解でしたが、青年が大事にしている一本の「カリスマ」という木と森の木々とが、藪池が初めに殺してしまった犯人と人質との対比になっていると見ると腑に落ちました。

この作品で優れているのは、人間の性質や関係性を木々やそれを取り巻く人たちで表現しているところだと思います。
カリスマは、手厚くケアを受ける(しかし回復の見込みがない)人のように受け取れるけれど、話が進むにつれて、周りの木を枯らしてしまう存在、すなわち生態系にとっては害悪な存在だと分かってくる。それは、凶悪な人が野放しになってしまって、その被害を受ける人がいる状態と受け取れました。だから、弱い木がときどき倒れる。
対して、森の木々は軍隊(中曽根ら)や先生に大切にされており、警察や医療、福祉に守られている人たち。
他にも、カリスマを守る青年は加害者家族のようだし、先生の妹の坪井さんは目的もなくデマを振り撒く迷惑な人にも思えます。

途中までの藪池の姿勢(ただカリスマを治す姿)と「今まで特別な一本な木というのはなかったし、森というものもなかった」「ありのままでいい」といった発言には、究極的な選択を留保して現実に向き合い続けるネガティブ・ケイパビリティを感じて、少し涙したけど・・・。というのも、今作のテーマは倫理に加えて自由だと思うので。
ただ、最後は結局、藪池は「特別な一本の木」の側に傾いてしまって、その一本を根絶やしにしようとする生態系を一からやり直すため、森を燃やし尽くしたという理解でいいのだろうか。その辺りがあまり理解できていません。

私はなぜか、青年がカリスマを守る場面が好きなんですよね・・・。周りにとっては害になる木だけど、青年には「害になる」という知識が一切ない。それでも、自分の大切にしている木を、酸素ボンベや謎のペンキで治療する場面(すっごくシュール)が、何だか胸に来ます。

私はこの映画に対して理解や解釈をしたわけですが、理解や解釈をしてしまうことで失われる物語の豊かさも必ずあると思っていて、本当に腑に落ちていいんだろうかということも感じたり・・・。映画を見るって難しいなと最近とても思います。
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