shibamike

放浪記のshibamikeのネタバレレビュー・内容・結末

放浪記(1962年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

高峰秀子、演技が凄まじいのな。
女優、というか役者って面白い仕事ね。
あんな自由自在に人を演じられたら、さぞ愉快でしょう。

芙美子の極貧幼少期から作家先生になるまでの人生物語。
林芙美子という実在する作家の自伝的物語らしく、物語自体は、貧乏人が世の中へ出るまでの苦労が描かれた話なのであるが、主演の高峰秀子がとにかく凄い。

猫背、極貧、陰気、皮肉屋、斜に構えて世間を眺める芙美子の屈折した感じを圧倒的に見せつけてくれた。
かと思いきや、お酒に酔って底抜けに明るくおちゃらけてみたり、と人格や表情が自由自在。実際の所、高峰秀子は日常生活で自分を見失ったりしなかったのであろうか。

芙美子を想い続ける印刷工の加東大介がウルトラいじらしかった。モテない男を見ていると、本当に切ない。他人事じゃないのである。一方、女からモテモテの伊達と福地。こいつらクズだぜ。福地は最後の評論のシーンは良かったけれど。いずれにせよダメンズと分かりながら美男子に惹かれる芙美子、ちょっと引いたぜ。ぜ。

芙美子が文筆で世に出るチャンスを巡って喉笛…口笛…草笛光子と勝負するのであるが、芙美子のしたたかさで犬笛…横笛…草笛光子を出し抜く。縦笛…指笛…草笛光子は烈火の如く怒るのであるが、自分は大事な作品の提出を芙美子に任せた歯笛…葉笛…草笛光子が悪いと思った。もう自分の中で笛のレパートリーがあとは"もがり笛"しかないです。

芙美子の文章は「飾り気もなく、素っ裸の強烈さ」というような感じで評判を得るのであるが、一方で「貧乏をこれでもかと見せつけてくるようで辟易する」や「ごみ箱からゴミを出してきて見せられるようだ」と、そこまで言う?レベルで眉をひそめる人も映画の中では少なくなかった。
そういう批判というかもはや悪口を聞いた芙美子は「だって…あたしにはそれ(貧乏生活の経験)しかないんだもん…」とベリーいじらしかった。
こういう貧乏強調の話というのはダウンタウンの松ちゃんも「チキンライス」という歌の作詞で気持ちを吐露している。
確か「あんなに貧乏だったんだから、せめて言うくらいいいじゃん」とかの感じだったはず。
でもまあ貧乏だったら大物になれる訳でもなく、やはり貧乏から来る体験や感情を世の中で面白がってもらえる表現に昇華できてこそでしょう。

ネットで見かけたのだが、土曜日に宝田明氏(イケメン福地役)が劇場で本作を観賞されたらしい。そして上映後少しトークしたそうなのであるが、「私が福地です。」と言ったらしく、何か宝田明氏好きになった。
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