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深夜カフェのピエールのotomisanのレビュー・感想・評価

深夜カフェのピエール(1991年製作の映画)
4.1
 ハムレットになるためにどれほど恥をかかにゃあならないんだ?しかし、誰がハムレットにしてくれと頼んだバカヤロー、と思ったかどうか。
 ハムレットは縁遠くとも街娼役は食うため、ねぐらのため、恥も外聞もあってないようなもの?ついでに大根役者でもこの舞台は全然OKらしい。更にこのぶっつけ本番はいつでも幕を下ろせるしリトライもし放題、即カネにもなれば役への習熟も要らないようだ。求められるのは観客と合意した役への従順さ位なものか?そんなことはきっとお客との関係次第だろうが、ピエールのこの舞台ではサイコな魔物客と対峙する筋書きをもってピエールを鍛えるのは本来ではないようだ。

 ピエールが提供するメニューが何なのか知らないが、客でもないべアールのヒモに掘られる様からするとその手前までという事なのだろう。だがそれにしてもその道を趣味とする好事家に媚びを売る事を覚え、そのように自分の心持ちと日常を変えて、積みあがった非課税収入はピエールの何の肥やしになってくれるのだろう?
 立派に男娼役を夜のパリで演じ、客に媚びて冬のパリを乗り切った後、べアールに出会い、ヒモと対峙して、ヒモ野郎への殺意の捌け口を遂に軍務に求めるらしいが、夜間航空偵察部隊?やけに専門的な志望で頭を捻ってしまう。しかし、志願理由を語る面接での言葉の澱みの無さに、そのとき、カマを掘られた男の成れの果てを堂々と演じているピエールの二皮むけたさまにも思えて呆れてしまった。

 ひと皮目は、当座は宿敵かとも思えた放送文化人ロマンとの再会でのすっかり男娼役が板についた、剥けたどころか逆に被った嘘の皮も馴染んでしまえば我が身にぴったりと言わんばかりのありさまで、それがロマンにはどこか見え透いた、嘘に酔った根っからな詐欺漢の疎ましさと感じられただろう。
 このろくな料簡もないくせに意固地なばかりの浅はか者が、身体を売る素振りほどの小銭を稼いだくらいで何をいい気になっているかと、要は、こんな嘘の皮を脱ぎ捨てた元の自分に戻って、どうせそれが何かも分かりはすまいが真っ当な道から出張って来るな、というところだろう。
 ロマンにあっては、それは当初の好意ではなく馬鹿者への叱咤である。

 このような流転の末にも相変わらずピエールは次の自分を演じる準備に余念がない。兵舎の深夜、手洗いの鏡に映る志願兵は男娼で娑婆でカマを掘られて殺意を抱く若者であって、あのヒモにべアールを奪われた落伍者である。
 これを見たロマンはきっと、最早、かつて叱咤したあの若者は既に無く、行き当たりばったりに彷徨う亡者の類と眺めるだろう。この者はこの先何を演じて何を残すのか、あるいはかつて誰も記したことのない台本を演じた後に記され、論評され、判決を下されるかも知れない、そう予感するだろう。
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