パイルD3

怒りのキューバのパイルD3のレビュー・感想・評価

怒りのキューバ(1964年製作の映画)
4.0
『瞳をとじて』で、アナ・トレントがスペイン語で「soy Ana(私はアナよ)」と繰り返す印象的なシーンがあった。

“soy“から思い出したのが視覚直撃映画「怒りのキューバ(Soy Cuba )」という作品。
女性のナレーションで繰り返される“soy Cuba“(=私はキューバ)というフレーズがいやでも耳に残る。

視覚直撃というのは、このロシアとキューバの1964年の合作映画は、内容以前にオープニングからいきなり始まる圧巻の撮影技術の凄さに目が釘付けになる…

【生きているカメラ】
それ自体が生きているかのようなカメラの動きが尋常ではない。

ジャングルから海へと、ドローンかと見紛うばかりの息の長い空撮から始まり、視点は地上へと移り、小さな河を小舟と共にしなやかに進む。この現在のステディカム顔負けのロングテイクの凄さは、とても半世紀以上前の技術とは思えない。

更に舞台は都市へと移り、ビルの屋上のブルジョワ連中の乱痴気パーティーの間を縫い、階下のプールへと移動して、何と水中へ…
何だこれは⁉︎と画面に見入らずにはおられなかった。

最近では「1917命をかけた伝令」や「アテナ」
のようなトリッキーな映像は、めずらしい訳では無いが、定点の無いカメラが縦横無尽に移動する映像には目が奪われる。

この映像のインパクトは冒頭だけではなく、仰角と俯瞰を基調とした広角レンズ、フィルターワーク、ホバーリングワークを駆使して見せるカメラ技は最後まで続く。
全てアナログ作業の時代に作られた感動級の人間技が見られる。

ジャングルのヤシが真っ白に見えるのは、赤外線フィルムを使っていると思うが、景観、服、建物などの白い色彩が特に印象深い。

1950年代後半、キューバ革命前夜。当時アメリカが支えていたバチスタ独裁政権の腐敗政治と、軍と警察権力の無謀な行使に苦しめられる民衆にスポットを当てた作品で、当然ながら政治的な偏りから共産主義プロパガンダの要素は強い。

金と権力、政治的な抑圧、暴力と格差社会が国そのものを支配している。いかにも劣悪な生活環境に国民が苦しんでいた時代。
作品中に重要な存在として登場する十字架は、救済の意味以上に人の心を映し出す。

題材は重いが、ストーリーはわかりやすいアンソロジースタイルで、4編のショートストーリーによって構成されている。
舞台が都市から田舎へ、そしてまた都市へと移り、最後は山岳地帯の田舎へと行き来する。

1話目は、アメリカ人が経営するギャンブル酒場の不埒な風景と、1人の貧しい女性が恋人に黙って売春をしている話。

2話目は、サトウキビ畑で地道に働く年老いた農夫が、地主に勝手に畑を売却されて、子供たちには問題ないとお金を渡して遊びに行かせ、大事な畑に放火する話。

3話目は、ハバナ大学の左翼学生らが悪魔的な腐敗権力に牙を向き、警察署長暗殺を目論む。やがて暴徒化して抵抗するも痛ましい末路に至る話。

4話目は、静かに家族と暮らしたいという理由から、革命軍への参加を拒んだ山岳地に住む男が、政府の無差別空爆によって家は吹っ飛び、家族が死傷して反乱軍へと加わることになる話。

どれもこれも痛切な掌編ばかりで、労働者、学生、農民という弱者のささやかな抵抗が主題になっている。
アメリカ資本と独裁政権への批判がど真ん中にはあるが、ただ、個々のエピソードはそれ自体、発展させて1本の作品に出来そうな芯のあるストーリーばかりである。

冷戦真っ只中の時代でもあり、世界公開は不可能で、共作両国での作品の描き方への抗議もあり、お蔵入り同然の扱いだったモノを、フランシス・コッポラ、マーティン・スコセッシらの協力と拡散力を得て、再評価されるに至ったらしい。

監督は「鶴は翔んでゆく」の名匠ミハイル・カラトーゾフ、空前のアクロバティックな撮影は同志でもあるセルゲイ・ウルセフスキーによるもの。
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