"potiche"「飾り壺」この言葉は、現代の日本を生きる僕にとっても、当事者意識を持って受け取るようなものだった。
トロフィーワイフという価値観に対して、カトリーヌ・ドヌーヴの娘なんかは分かりやすく、前時代的な母の立場を軽蔑しながらも、自らもそこに進んでいっている運命のようなものを意識している。
夫にとって妻は飾り壺のようなものである、という価値観を否定的に捉えるのが当たり前になっているけど、飾り壺ってとても綺麗で、美しいものの例えにも聞こえないだろうか。飾り壺だけど中身は空じゃない、というセリフを大切にしようと思った。
政治的立場とか、ジェンダー思想とか、オゾンもそういったものを描こうという意志はもちろんあったのだろうがそれ以上に、彼にしては珍しいほどのコメディチックな演出を楽しむことの方が、この映画の在り方としてしっくりくる。
最後の演説の、あなたたちはみな私の子どもです、というセリフに思わず笑ってしまった。1人の異性を一途に想い続けることのバカバカしさを思い出した。
赤ジャージのシーンは、タランティーノを意識したものなのだろうか。