炭酸煎餅

十二人の怒れる男の炭酸煎餅のレビュー・感想・評価

十二人の怒れる男(1957年製作の映画)
5.0
久しぶりに観ましたが、流石の名作、本当に面白かったです。
密室劇のわりに登場人物が多い映画だと思うんですが、それぞれが「どこかにいそうな普通の人」なのにすごくキャラが立っていて、実質ワンシチュエーションで地味な台詞劇ながら「どう見ても有罪確定」だった状況から次第に認識が変わっていく様子は、非常にダイナミックでとても見ごたえのあるドラマになっていたと感じられました。

再見して思ったんですが、刑事裁判の原理原則とか手続きってわりと「人間の素朴な感覚になじまない」所ってあるような気がするんですよね。
「有罪と確定するまでは法は犯していないものとして扱う(無罪推定の原則)」とか、「有罪を立証する責任は検察側にあり、提出された証拠によって有罪であると確信出来なければ被告人に有利な判断をすべきである(疑わしきは被告人の利益に)」とか、あと「冤罪で人を裁いてしまうくらいなら殺人者を逃す方がはるかにマシ(10人の真犯人を逃すとも1人の無辜を罰するなかれ)」とか。(個人的にはこういうの、「人が人を裁く」という行為の歴史において人類が色々考えに考えた末に出した結論って感じがしてすごく好きなんですけども)
私も本作を前に観た時は「無罪になった=犯人ではないと判断された」という「逆転の推理劇」みたいな感じに捉えていたんですが、改めて観てみると、先に書いたようにこれは完全な密室劇で、実際陪審員たちは別に現場で捜査したわけでもなく、証拠の検証とは言っても手掛かりとしては法廷で見聞きしたことがほぼ全てであって、ぶっちゃけ想像に拠ってる所も結構大きいんだよな……と感じられました。
正直、最初から「無罪」で手を挙げていた8番の男(主人公)も普通に考えたら他の陪審員が見た・気付いたこと全部を1人で知覚しているわけもなく、これまでの裁判の内容を聞いていて「なんか変だな」と感じたから少し自分でも調べてみて(ナイフの件とか)、あれ?これってこれで有罪にしたら怖くない?自分たちの判断で人が死ぬのに?という主に「陪審員としての責任感」から出た行動だったりするのかも、という感じもあって、果たして彼も被告の少年の事をどのくらい「潔白」だと思っていたか、は実は微妙な気もしたりしたんですよね。
実際、映画としては「無罪」の評決を出した事ですごいカタルシス感は出ているものの、厳密には「この証拠では有罪と確信する事は出来ない(証拠不十分)」と結論付けた、というのが正確なところで、"事件"としては特に解決はしてないし、別に少年の潔白が証明されたのでもない(警察の捜査と検察の立証の杜撰さが指摘されただけ)わけですし。

本作の作者は当時、実際に自身が殺人事件の陪審員として参加した経験から脚本を執筆したそうで、そう考えると本作は確かにフィクションであって演出・脚本面から言っても「ものすごくよく出来たお芝居」ではあるものの、意外に身近かもしれない司法制度の考え方や陪審員制(現代日本なら裁判員裁判)の意味というものについて考えさせる、観客への問いかけを含んだ作品なのではないかと思いました。
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