湯っ子

あ・うんの湯っ子のレビュー・感想・評価

あ・うん(1989年製作の映画)
5.0
器用なようでやっぱり不器用な高倉健。棒読み芝居が、現在のヤバいほどのイノセンスとはまた違うイノセンスを醸し出す板東英二。女子力の塊のような富司純子。この作品は何回も観ているが、久々に観て、やはり味わい深かった。
この3人の奇跡のようなバランスは、いくつもの要素や、いくつもの折り重なった感情からできていて、作品を観るたびに発見がある。

門倉(高倉健)と水田(板東)はやっぱりお互いが大好きで、たみ(富司)はそんな2人が一緒にいるところが大好きなんだと思う。門倉もたみも、心の中ではお互いにどうしようもなく惹かれてはいるものの、この3人の関係がこわれることなんて考えたこともないと思う。水田も、この2人が惹かれあっているのはわかっているし、でも彼らが自分を裏切ることはないこともわかっていて、そのことをどこか不憫に思っている節もあるような。結婚やら恋愛やらが自由じゃなかったこの時代だからこそのままならなさ。心のままに行動できない3人だからこそ、水田の娘さと子(富田靖子)の恋に対しての思いは同じだったのかもしれない、表面にあらわれた態度は違っても。

洒脱な色男の健さんがカッコいいので、今まであまり水田の良さに注目してなかったのだが、今回の鑑賞では水田の人物像にすごく興味が湧いた。原作者向田邦子が繰り返し脚本のモデルにし、エッセイにも書いた実父の像に近い。門倉を気の置けない唯一無二の友としながら劣等感を隠し持ち、ガサツなようでいながら門倉にかけてはいけない言葉をよく知っていて、その線を越えることはない。終盤、酒のはずみで相手を貶める発言をするのは門倉のほう。金銭の援助もしていた門倉はやはりどこかで自分が主で水田が従だと思っていたんだろう。でも、水田の海外赴任が決まりそうになった時、相手を失うことの大きさをより感じたのは門倉だったと思う。
日々あちらに傾きこちらに傾き、くっついては離れ、バランスを保っている彼らの、心の襞が幾重にも感じられるこの作品は、やはりとても愛しい。

門倉の妻についても思いを馳せるとまた切ないのだが、ぜひ夫より長生きして趣味の刺繍を極めつつ、優雅に暮らしていてほしいと思う。
湯っ子

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