黄金綺羅タイガー

鬼畜の黄金綺羅タイガーのネタバレレビュー・内容・結末

鬼畜(1978年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

『団地』の少年がガッチャマンを唄っているのはこの映画が元ネタだったのか。

本作の素晴らしいところは、作中ではっきり描くものと、はっきり描かないものがあるというところだと思う。

はっきり描いているものとしては、激しい虐待のシーンや大人たちのそれぞれの事情、背景だ。
これらをしっかり描写することで大人たちのそれぞれの業を顕にしている。
つらい虐待のシーンをいれることで、受け手側に子どもたちへの感情移入を強くさせる一方、大人たちの背景を描くことで、大人たちをわかりやすい絶対悪としては描いていない。
これにより大人たちの遣る瀬無さが強調されているように感じる。
また、それがよけいに最後の利一の選択をより切なく、強烈にしているように感じる。

また、丁寧に描いているものとして挙げられるのは事件が解決するための糸口だ。
受け手にそれと感じさせないように、かつ思い返したときにそれがヒントだったとわかるように、自然なかたちで随所に丁寧に散りばめることで、本作が本格ミステリー作品であることを印象づけている。

上記のようにはっきり描いているものもあれば、はっきり描いていないこともたくさんある。
子どもたちの父親が本当に宗吉かどうかをうやむやにし、庄二の死が衰弱なのか、事故なのか、殺人なのかをぼやかし、利一が落ちる場面を殺意を持って落としたのか、追い詰められた末に落としてしまったのかをはっきり描かない。
そうすることで文学のような抽象性を持たせている。

もうひとつ、素晴らしいと感じるものは緒形拳の演技の変化である。
序盤の優しい父親、甲斐性なしの気弱な男、その男が徐々に追い詰められて変化していく中盤、ついには大切な子どもを手にかけようとする終盤の鬼気迫る表情、ラストの贖罪と後悔からのぐしゃぐしゃの表情。
この演技の過程があるからこそ、ラストに感じるカタルシスがすごい。

そして最後に、利一の殺害未遂のシーンの美しいこと。
我が子を殺そうとしている恐ろしい場面なのにも拘らず、海面に映る夕陽はモネの『印象、日の出』か、ムンクの『月光』かのように美しい。
そして画面いっぱいに映る夕陽と、その夕陽に照らされた朱い風景は、宗吉の殺意、狂気のメタファーになっているように感じる。

本作の原作は松本清張の短編らしいので、長編に比べれば重厚な内容ではないが、本作には商業作品として、ミステリー作品として、映画娯楽として、映像の芸術性として、いろいろな側面での価値があるように感じる。