キノ

デビルマンのキノのレビュー・感想・評価

デビルマン(2004年製作の映画)
1.0
星1の基準。作品を台無しにするマイナス点が明瞭な反面教師的作品で、演技・演出・編集・プロデュース・宣伝などの大切さを映画初心者でも実感できる。BTTFに並ぶ映画の教科書。

今回マイベスト10位に入れるにあたって、再視聴。以下長文、ネタバレ。

1:演技

道徳教材ドラマやテレビ戦隊系で育った私は、素人的演技も平気で、映像・脚本を楽しんでいた。その私が初めて「演技って大事」と学んだのが本作。ポイントは、アニメ版デビルマンを思い出しつつ眺めるCG映像に大加点が入った瞬間、さわやか3組を下回る学芸会演技が来る事。この落差が「台無し」感になる。当時は「声優吹替版にすべき」と思った。今は逆に、声優の「演技」に注目出来るようになった。演技問題は、テレビ吹き替えの Daigo が分かりやすい。

2:演出

いや悪いのは役者じゃない。OKを出す監督。吹き替えは無理でも、主人公の絶叫を無音化し、別の音を流すだけマシになる。悲劇性は別の演出でも出来たはずだ。このように全編通して「もっとこうすれば」が素人にも溢れてくる。その体験を経て普通の映画作品の「演出」のあり方に注目することで、映画好きへの道が拓ける。実際「風立ちぬ」の声優・庵野でさえ演出でカバーされてる。

3:編集

「また馬鹿なテレビが下手にカットしたな。物語が飛んでるじゃないか」と思ったら、これはレンタルでカットはなかった。という体験が本作で出来る。そして「なら、取り直す時間・予算も無かった?」と驚く。こうして、舞台の朝昼夜や天候に注目すると、例えば BTTF のタイムトラベルが「夜→夜」だった意図も考え始める。つまり本作は連続したシーンに飛びを感じて、逆に BTTF は時間跳躍シーンに連続性を感じる。こうして「編集」の大切さを学ぶ。

4:宣伝

アニメと違い、映画は原作準拠という宣伝だった。ポスター絵は期待出来て、映画館での酷評を耳にしても、原作ファンの私は実際レンタルで見るまでは信じられなかった。もちろんこの期待は裏切られる。裏切られ、原作の何を、原作の何処を描きたかったのか、と怒りさえ覚えた。と同時に、改めて原作が好きなのだと再認識させられた。この流れは「ドラゴンクエスト・ユアストーリー」も同じ。真逆なのが、神作「指輪物語」。ある意味、期待ゼロで期待通りの「シベリア超特急」とも真逆。

5:制作

必要なシーンがない代わりに無駄なカメオ的出演があるのは何故か。それが金。宣伝広告費の代わりに、タレント・芸人を出演させテレビ番宣させれば、露出増の演者側も、出演費軽減のテレビ側も、宣伝出来る映画も三方良し。制作側は企画で夢を見せ、飯を食っている。「夢」は金の匂い。観客に見せる夢はない。万が一でも、原作ファンが金を出す。こうして邦画は悪になる。この暗雲を破る閃光が「映画大好きポンポさん」だった。邦画の現実がポンポさんの非現実さを浮き上がらせるし、その非現実を実現しようという実在の作り手達の心意気を感じさせた。本作と「映画大好きポンポさん」の決定的違いは、企画段階で観客に夢を見せようとしているか否かだと思う。

6:まとめ

原作漫画で主人公は人への愛を保ちつつ、悪魔化する。デビルだが、マン(人)だから、その悪魔の力で、人類を守ろうとする。守られる人々は、しかし、世界滅亡に向かう中で愛を失っていく。自分が利他精神で守った人が、利己的。その状況に追い込まれていく主人公の「愛」を描ききったのが原作漫画だった。

本作も同じだ。期待を裏切り、がっかりさせる。絶望は怒りにかわり、それにより観客はデビルにかわる。つまり、映画愛を保ちつつ悪魔化した「デビル観客」。それが星1に必要な要素。特に実写化映画はそうなりやすく、最近ではシンゴジラを期待させた「大怪獣のあとしまつ」(未見)。

ならば、と思う。

映画への愛を失う「邦画の業界人」。そんな愛なき人々を「デビル観客」は、身銭を切って映画を見て、守っている。彼らにのみ残った「映画愛」は、どんな結末を迎えるか?

その時、サブスク映画(倍速)は、まさにサタンだ。

そこまで考えさせる、本作デビルマン。殿堂の星1にふさわしい。
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