せみ多論

ある日どこかでのせみ多論のネタバレレビュー・内容・結末

ある日どこかで(1980年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

初めてその作品を観た時よりも、2回目以降の方が目頭を熱くする作品は少なくないと思う。初回では何とも思わなかったシーンが、そうでなくなってしまう。痛烈に刺さってくるようになることも珍しくない。

本作はまさにそう。冒頭、主人公である新進気鋭の劇作家のパーティーに現れた謎の老女の一言。

「Come back to me.」
そして彼女から手渡される懐中時計。

初見でも確かにただならぬ印象は受けましたが、二回目以降は直視できないくらいこの台詞は胸に来る。
彼女はほんの数日を過ごした主人公のことを、気の遠くなるほどの年月想い続け、ただ一言の台詞を、願いを、彼とを繋ぐ唯一の品である懐中時計と共に贈り、その夜に愛しき人を想い、彼の台本を胸に静かに逝くのだ。

詳しいことはすっ飛ばしますが、ラストシーンでは主人公もまた2度と彼女に会えぬ悲しみから死に至る。天国とやらがあって2人が再び巡り会えたかどうかはさておいて、この悲恋の物語は幕を閉じる。
タイムトラベルものの本作の鶏が先か卵が先か的な部分である出会いもまた不思議な気持ちにさせられる。
2人が出会わなければ悲恋とならなかったはずであるのに、出会わなければ良かったのかと言うと答えはノーだろう。
彼女はほんの数日を過ごした彼に人生を捧げたわけだし、それは主人公もまた同じ。2人の愛は数日間の出来事でも人生わ捧げる価値があったとお互いに思ったのなら、こんな素敵なことはない。
大切なことは過ごした時間の多寡では無いと言うロマンスは賛否あるにしても、あたくしは好きだ。

2人にとって永遠となるあの数日のために、彼女は願っているのかなと感じてしまったから、2度目の鑑賞時の「Come back to me.」は堪えられないものがある。彼女が長い年月を経て再会できたことを、どれほど嬉しく思っているのか計り知れない。それでも彼女は再会の喜びを述べたりしない、愛しているの一言もだ。ただ、帰ってきてね、とそう告げ、去る。
もう年を重ねってしまったからとも思ったのかもしれない、何を言おうと主人公が自分のことが分からないことを理解していて辛かったのかもしれない、そして彼女はあの日々さえあれば良いのだと想ったのかと思うと、頭がクラクラしてきてしまった。

悲しいけど、大好きな映画。
せみ多論

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