「トリコロール」第3作
キェシロフスキ監督の遺作。
「赤」は博愛。全てを平等に愛すること。
なかなかこの3部作は難しい。
映画の内容と題名が意味するものの共通点が明確に見えないのだ。朧気にこういうことかな、程度である。だからこれまでの2作ともモヤモヤが残っている。そして同じ感覚でこの作品も終わってしまった。モヤモヤの度合いが全く同じレベルだ。
#1402 2023年 436本目
監督:クシシュトフ・キェシロフスキ
脚本:クシシュトフ・ピエシェヴィッチ、
クシシュトフ・キェシロフスキ
音楽
ズビグニエフ・プレイスネル
スイス、ジュネーブに住む女子大生のバランティーヌ(イレーヌ・ジャコブ)
大学生で、モデルとしても活躍する彼女は、イギリスにいる恋人とはすれ違いの毎日を送っている。
そんなある日、ひょんなことから引退した老判事(ジャン=ルイ・トランティニャン)と出会う。
彼の趣味は他人の電話を盗聴することだった。盗聴を許せない彼女ではあるが、この老判事に親近感をおぼえる。
やがて仕事でイギリスへ渡ることになった彼女に思いもよらぬ運命が待ち受けていた。
主人公のバランティーヌの近所に住む法律家を目指すオーギュストの物語が並行して描かれる。あるフォロワーさんがこれを「サブプロット」と書かれていたが、まさにそう言う描き方だ。彼は何者なのか、ずっと気になったまま、二人の交わりはない。そしてラスト、二人の運命が大きく動いた時、この物語の意味がわかったような気分になる。
そう言う気分にはなるのだが明確ではない。
男と女のジャン=ルイ・トランティニャンがこの作品では相当老いている。しかし相変わらず渋く雰囲気のある演技を見せてくれる。主人公を演じるイレーヌ・ジャコブルが清々しいだけにこの二人の対比が鮮明で、この映画の大きな魅力になっている気がする。
3部作は、それぞれの物語が独立して個性的で、違う手法で描かれていながら、全く別物の映画ではないことが、この映画のラストに示される。そう言うことかとドンデン返しみたいなまとめが、この3部作の魅力となっているのだろう。