すみ

道のすみのネタバレレビュー・内容・結末

(1954年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

粗野で孤独な男、ザンパノ。
知的障害(?)を持ちながらも(持っているが故にともいえる)心は優しく真っ直ぐなジェルソミーナ。

最初は乱暴なザンパノの元を逃げ出すけど、イルの言葉をきっかけにジェルソミーナはどんなことがあってもザンパノについていくと決める。
たとえザンパノがイルを殺してしまっても、そばを離れない。自分の存在価値がここにあるのだと信じて。
でも、ザンパノはショックで使い物にならなくなってしまったジェルソミーナを見捨ててしまう。

数年後、とある町でザンパノはジェルソミーナが自分と別れた後に死んでいったことを知る。
「私がいなくなったらあんたはひとりぼっちよ」の言葉のとおり、荒くれ者のザンパノは誰とも打ち解けられず、ただひとりぼっちで年老いていた。

ジェルソミーナの無垢さは、きっとザンパノの何かをしっかりと溶かしてくれた。だからこそザンパノは最後に人間らしく怯え悲しんでいた。ジェルソミーナがそばにいる意味はしっかりとあったのに、いなくなってからその意味がはっきりと浮かび上がってくるのは皮肉だな。

意地っ張りでどうしても自分を曲げられない、ザンパノみたいな生き方しかできない人は確かにいて、私もそうだから、どちらかと言えばザンパノに感情移入してしまった。
大切なものに気がついたときはもう遅くて、情けなさと悲しさと後悔だけが残る。
それは愚かさに対しての相応の報いだから受け入れるしかない。その後に感謝がくるけど、その気持ちまで持てる人間はきっと少ない。
自戒にもなる映画だった。

荒くれ者の一匹狼と素直で無垢な人間の組み合わせというのはたくさんの物語で見るけれど、本作はジェルソミーナがただの素直な女の子ではなく知的障害を持っているというのが個人的にすごく考えてしまうポイントだった。白痴?ということで重度の知的障害の設定らしいけれど、そこまで重度ではないように思えた。障害を持っている(普通とは違う)故の苦悩や劣等感、利用されてしまう事実、頭が弱いが故に起こる悲劇。そういったハンデとジェルソミーナの心の強さが良くも悪くも結びついていて、すごく考えてしまった。

イルの、どんなに小さな小石でも何か役に立っていて、どう役に立つかは神様しか知らないという言葉が良かった。これが無益ならすべて無益だ。
すみ

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