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県警対組織暴力のbackpackerのレビュー・感想・評価

県警対組織暴力(1975年製作の映画)
4.5
"やくざ社会にどっぷりつかって這いずりまわるこいつも刑事"

笠原和夫脚本において、68年『博奕打ち 総長賭博』73年『仁義なき戦い』『仁義なき戦い 代理戦争』に並ぶ、ヤクザ映画の金字塔。
任侠映画からヤクザ映画へと移り変わる中で、時代の流れも相まってヤクザ映画というジャンルそのものが終わりへと向かい始めるタイミング。そこに突如として現れたのが、完成されていたジャンルの構造を破壊した"実録路線"。
しかし、"実録路線"における頂点は75年の本作登場によって完成し、早々にピリオドが打たれてしまいます。
深作欣二と笠原和夫の二人で、自分たちが確立したジャンルの頂を、自分たちで踏破し、自分たちで終わらせた。この潔い終わり方も相まってこそ、不滅の傑作として現在まで賞賛される理由なのでしょう。


作品自体は、「クズ共よ集い踊れ!」って感じの、仁義シリーズ同様に不快で虚しく残酷です。ただ、その残酷さや不快感は、ヤクザ社会が持つ不条理が原因ではないところがミソ。
実態は、カタギ社会が持つ潔癖な同調圧力と、過去を顧みず前向きに明るく進む能天気さが、残酷さの裏返しとなっているのです。
コレ、見てるこっちは、何ともケツの座りが悪くなります。
特に、第二幕以降登場する県警のエリート本部長・海田(演:梅宮辰夫)の存在は、ヤクザや、ヤクザと癒着している刑事達や、石油会社と市の重鎮といった数多くの胸糞悪い登場人物達と比べても、殊更に向っ腹が立ちます。この男、弁が立ち、頭がよく、柔道の猛者で、政治に長け、人心懐柔までこなす典型的な腐れエリートです。
地元警察署の下積み叩き上げ刑事・久能(演:菅原文太)は、徹底的に反りが合わず、海田の手練手管にはなす術もありません。彼ができるのは、下っ端の恨み言をぶつけるだけ。
「上は天皇陛下から下は赤ん坊まで、みんな流しのヤミ米食らって生きとったんで。あんたもその米で育ったんじゃろうが、おう。綺麗ヅラして法の番人じゃなんじゃ言うんじゃったらの、十八年前わりゃあが犯した罪ハッキリ精算してから、うまい飯食ってみいや!」
しかし、海田から返ってくる言葉は実に無慈悲。「アンタが言いたいのはそれだけか」です。

ああぁ〜、この、このセリフ!この差!太刀打ちできない、埋め難き差!
クソッタレぇい、ふざけやがってよぉ!!

海田のモタレが最終的には、コンビナート建設の為県警を送り込んできた石油会社に課長として天下って、晴天の下ラジオ体操をするシーンの、尋常じゃない腹立たしさよ。お天道様に照らされて生きてきた、真っ当さしか知らない善人みたいな面しやがって……。
でも、そんな海田は、いうなれば我々普通の庶民サイドの安定を保つ仕組みの一端であり、その歯車の中でうま〜く立ち回り、いい感じのポジションへと落着させただけに過ぎないんです。勿論、その過程で相応の危険に身を晒しているわけだし、庶民的には共感されて然るべき人……。くっそがぁ、そんな現実が益々腹立たしい!

抑え難い激憤を感じさせる無慈悲な物語は、広能の死というやるせない結末によって、あっけなく終焉します。
あぁ……人情ってないんか…………いや、そんなもんないか。仁義も失われたその先なんて、拝金主義の獣が蠢く暗黒社会、要するに現在なんだものね。


友安市議を演じた金子信雄は、相変わらずの外道な小悪党で逆に安心しちゃったのは、備忘まで。
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