大道幸之丞

あしたの私のつくり方の大道幸之丞のネタバレレビュー・内容・結末

あしたの私のつくり方(2007年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

この手の映画が困るのは「これが2007年当時の中高生の感覚なのか?」と考えるとそうでもなくて、まず原作者真戸香は書いた時点で30才であり、監督の市川準は撮った翌年に59才で他界している。

この二人のフィルタを通っているのに中高生の感覚を描けるのかな?とは思う。

私は成海璃子のファンであって、彼女が主人公の作品を観ないわけにはいかない。ちなみに撮影時点で14才、前田敦子は15才である。小さい肩に繊細な世代の彼女達を映す。
かなりアップのシーンがあるが、10代半ばであり肌の破綻がない。2人にとってこのタイミングでしか撮り得なかったであろう。

それにしても話題性にいまいち乏しいところから興行成績を懸念してAKBパワーを借りたかったのだろうか。「もらとりあむタマ子」など彼女の男性ファンばかりが観に行っている印象があった。

——さて、自分で思っている事をそのまま実行すると周囲から感情まみれの同調圧力で阻害されるこの年齢、助けてあげるべき友人、手を差し伸べてあげるべき友人に行動する事が出来ず、結局良心の呵責に苦しむ事になる。多くはがさつな素振りで場をしのいでいる印象がある。

結局その辿り着く先が「ヒナとコトリ」を借りて償うストーリー。

本作は決して突然花田日南子(前田敦子)がある日、山中で死体で発見されるとか事件が起こるわけではない。

感じるのはその名の通り「多感」な時期の少女達にとって、足りないのは勇気だと勘違いし告白してくる男子や、母親が選んだ新たな恋人などの男性はとにかく少女たちにとっては「闖入者」でしかなく、ストレスにしかなり得ない。

それが許容されるとすると、彼女たちが優しい姿勢になって「存在させてあげている」時だけ。また告白などされると、自身の好悪より「断ると相手を傷つけてしまう」と考える故に受け入れてしまいかねない危うさがある。

中高生の段階で太宰治が好きな日南子も手強そうで、健やかな大島寿梨だからこそうまく行った印象がある。ただし中学で太宰が好きなような場合は「自分は他者と違う」という強い意識を持ちがちで、その意味で日南子の人物構成には違和感がある。

それにしても「ヒナとコトリ」はどうだろう。一枚挟んだコミュケーションはどこかやましさがつきまとうようにも思えるのだが。

母親の大島さつき(石原真理子)の恋人上島浩二に田口トモロヲを充てるのは「気持ちの悪い男といえば」という意地悪なキャスティングは成功している。

ワタシ的には楽しめた作品でした。人には勧めないかもだけど。