昼行灯

大人は判ってくれないの昼行灯のレビュー・感想・評価

大人は判ってくれない(1959年製作の映画)
3.8
遂に、、!U-NEXTネ申
大人の事情は難しくてよく理解できないけど疎外感だけは確かにあって、かといって学校の友達と仲はいいけどお金持ちでやっぱり断絶を感じていて、でもそれを上手く言葉には出来なくて、、みたいな八方塞がり加減を台詞が少なく、穴のあくような目の大きい少年・ジャンピエールレオがみずみずしく演じていてとってもよかった!

大人の事情って子供にとってはほんとに難しくて、しかも大人は子供に知られまいとするから、二重の意味で断片的なのよなあ。だから両親の喧嘩はドワネルにとって聴覚情報でしかないし、母親の不倫はワンショットでしか映らない。あと、親の急な態度の変化にもビビる。辛く当たったかと思いきやご褒美を用意したり、かと思いきや「あんたにはここが似合いだよ」と収監所?へと押し込めようとする。3人で夕食を囲むシーンが2度出てきたけど、2度目で母の位置が父の向かいに変わっていて、カメラも少年の真正面からと90°変わっていたのがこの親子の関係性の変化を何気物語っていたよね。この夫婦は連れ子の子供を軸に対極の立場になってしまったわけだ。

あとは『新学期操行ゼロ』のオマージュ的雰囲気が全体に漂っていて、それがすごくヌーベルバーグだなと。教員が黒板に向かっている間だけ一斉に一生懸命ふざけあってるクラスメイトたちかわいい。し、ショット内にリズムが生まれていたなあ。それとランニング中にどんどん生徒が減っていく演出はなんとなく物語と入れ子構造になっている感じもあった。というのも、この物語自体がドワネルの仲間たちが次第に減っていく映画でもあるからだ。終盤収監所の少年とちょっと言葉を交わしてるけど、彼らは友達と言うよりもちょっとお兄さんチックだった。
回転遊具?のシーンも面白かった。回っているうちに遠心力で少し重力から解放されたドワネルが、画面の中をまるで宇宙飛行士のように漂い、なおかつそれに対応するかのように天地左右を自由に反転させるカメラは、仮初のドワネルの自由や楽しみを上手く表現していたと思う。他に仮初自由表現としては、パリを後景に見下ろす高台の歩道を走る前景のドワネルと友人のロングショットとかもあったな。

ラストのストップモーションは、なんとなく表情が驚いてるふうに見えた。それは突然映像がストップモーションになって驚く観客の鏡像であるかのようだった。これがトリュフォーのいう「あなたならどうする?」ということなのかも。映画史的には驚きの美学の再来をやってみせたのだと思うし、それはまさしくヌーベルバーグの手法なのだけど、物語的にも、環境によって自分の願いを叶えてこられなかったドワネルが初めて自分の力で願いを叶えたっていう驚きがあるのかもしれない。
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