喜連川風連

紅の豚の喜連川風連のレビュー・感想・評価

紅の豚(1992年製作の映画)
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宮崎駿さんによる自分のための映画作り宣言。

紅の豚以前の宮崎映画では、純粋に子供の為の映画として存在していた。それが紅の豚以後で、ガラッと変わる。

宮崎駿さん自身、紅の豚を作った後、自分のために映画を作ってしまった、と後悔したらしい。

インタビューにはこうある。
「自分が今まで作ってきた『ナウシカ』や『ラピュタ』や『トトロ』などは、自分への手紙なんです。自分のさえなかった子供時代や、さえなかった高校時代や、さえなかった幼年時代に対する、ああいうふうにしたかったけれどもできなかった自分自身の全世代に向かっての手紙。それが『トトロ』が終わったときに真四角になって、全部出し終えてしまった。(中略)全世代への手紙を書き終わったときに、これからどうやっていくんだと迷っている中年時代の自分にいくんじゃないのと、『紅の豚』で現在形の手紙を書いてしまった」

誰かのために飛ばなくなったポルコは豚になった。

これは誰かのために映画を作らなかった宮崎駿さん自身にも重なる。

自分のために生きるそれはカッコよくもあるが、何一つ生産的な活動はしない(ジブリ的には怠惰)

フィオのために戦うことを語る時、一瞬人間の姿に戻るが、また豚に戻ってしまう。

「ファシストになるくらいなら、豚でいるほうがましさ」これも置き換えると
「商業映画の監督になるくらいなら豚でいる方がマシさ」

「国家、民族、くだらないスポンサーを背負わないと飛べない時代になったのさ」

「製作委員会、くだらないタイアップを背負わないと映画は作れない時代になったのさ」と言っているようでならない。

ありとあらゆるところに、自己投影があり、私小説として作られているにも関わらず、エンタメ作品として成立している。素晴らしいし、凄い。

宮崎作品史上最も音楽が好き。バチバチにハマっている。
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