山崎朋子のノンフィクション小説『サンダカン八番娼館-底辺女性史序章』を原作に、社会派監督・熊井啓が忠実に映画化しました。
大正時代。
外貨獲得の目的もあり、貧しい家の若い(幼い)少女たちが九州長崎の海辺から“からゆきさん”とよばれ海外に娼婦として売られていった。
第二次大戦後、ボルネオに“からゆきさん”として売られ、地元の天草に戻っていた・おさきさん(田中絹代)の回想を、日本の女性の近代史を研究している三谷圭子(栗原小巻)に語っていく。
過酷なボルネオ娼館での日々。
ほのかな恋心も実ることなく、日本軍が上陸した日などは一晩に30人もの客を取らされたりしていた。
それでもおさきさんは、お金を貯めて本土に帰る夢を捨てておらず、そのために他の娼婦たちが嫌う土人(差別用語ですがオリジナルを尊重してそのままの表現で書いていきます)をも進んで自分の客としていった。
そこまでして頑張って日本に帰ってきたおさきさんだったが、戻ってきた祖国は“からゆきさん”に冷たい国になっていた・・・
主人公おさきさんはなんの落ち度もない。
ただ家が貧しかっただけだ。
“からゆきさん”の意味もわからず母が新しくこしらえてくれた着物に袖を通し嬉しそうな表情をする悲しさよ。
30人もの日本兵の相手をした後の娼館に恋した男が飛び込んできたときの、おさきさんの絶望的な表情よ。
自分がボルネオでまさに体を張って稼いできた金を、本国で暮らす夢のためにせっせと兄のもとに送金していたのに、兄はその金で新しい家を建て、所帯も持っていた。
幼い頃はとても仲のいい兄妹だったのに、“からゆきさん”から戻ってきたら近所への体裁もあって冷たい兄となり、兄嫁はあからさまにおさきさんを疎ましく思う。
自分の場所がここにないとわかったおさきさんは同じような境遇の娼婦とともに満州に渡る。
第二次大戦が終わって天草に戻ってくるが、村はからゆきさんのことについては固く口をつぐみ、おさきは集落の中でも一番奥手にあるとても粗末な家に住まなくてはならなかった。
そこに身分を隠した三谷圭子が偶然を装いおさきさんに近づき、一緒に暮らすようになるうち、ボルネオでの出来事に関しては口が重かったおさきさんが三谷圭子に事の次第を話すようになる。
どうしてあんなに口が固かったおさきさんが三谷圭子には事実を話すようになったのかは、ぜひ本編を観ていただきたいのですが、
冒頭に書いた新しい着物がどうなったかなど悲しすぎるエピソードが連続します。
そして、気丈そうに見えたおさきさんの嗚咽と絶唱。
すべてを凝縮した魂の叫びとはこのことでしょう。
老いたおさきさんを演じる田中絹代は、映画作品としては本作が遺作となりました。
まさに映画女優ですね。
「楢山節考では老婆役を演じるために差し歯を抜いて役を演じたなどの有名なエピソードがありますが、デ・ニーロアプローチに近い役者魂を感じます。
若い頃のおさきさんを高橋洋子が演じる。
幼くして娼館に売られてしまうという役だけに、当然体当たりの演技が要求され、そして見事に応えている。
幼い表情の奥に潜む目力の強さはさすがだ。
おさきさんの話の聞き役・三谷圭子には栗原小巻。
自らの素性をおさきさんに話すシーンの涙に嘘はない。
監督が熊井啓なだけに、我々無関心な日本人にチクリと針を刺してきますが、見応えのあるさすがの作品となっています。
日本の恥部と言われる事象を誇張せず描いた作品。
ノンフィクションが原作なだけに心が痛みますね。