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ブワナ・トシの歌のotomisanのレビュー・感想・評価

ブワナ・トシの歌(1965年製作の映画)
4.0
 T大学地質研究所の人々の夢はでっかく膨らんでいった。地球が生まれ出た頃の秘密を解くカギを求めて、まだ誰も知らない東アフリカの奥へ乗り込んでいく。渥美清のこの前置きを聞いて、思い出すのが手塚治虫の「ジャングル大帝」だ。
 主人公のレオが父祖の地を離れやがてケン一らと交わるべく人間界に送り出されるのがタンガニーカに隣接し、まだ合邦前であるザンジバルの港。トシ=渥美もくにを出ていったん寄港したはずの街だが、この際レオの事は別の話で、T大学の夢こそ、「ジャングル大帝」におけるサイド・ストーリーであるA国対B国、国威を賭けた「月光石」探索競争を思い起こさせるのである。
 その鉱物こそ地球と月が兄弟星である証拠となる代物というのである。そんなことを思えばT大地質学者の夢も物語性に満ち満ちて感じられるが「トシの歌」が歌われるのはあくまでもその序曲、アフリカ人が日本人を始めて迎え入れ、笑って泣いて拳固が飛んでの波乱万丈記としてである。
 しかしそれは研究者らの業務拠点兼住居、軽量鉄骨木製プレハブ建築一棟を建てるという一見して大事の前の小事の態なのである。一気にスケールダウンして消沈は勝手だが、1961年、この時タンガニーカは独立直前。大使館もなく、おそらく商社駐在員さえいるかどうか、いるとすれば熱血商人が商談を携えどこかを駆けまわっていてトシの事など構ってられない状態という具合であろう。まして、アジスアベバの大使館からソールズベリーの総領事館まで3000kmにわたって日本政府の影はまるでない。そんな時代である。

 それにしても、トシとはどんな人物だろう。原作者、片寄氏なら当時23歳、京大院修士課程在籍中であるが、渥美ならその倍には見える。そこをサバを読んで一回り上35歳なら、終戦当時19歳、兵としてあるいは外地生活者として南方かその他どこかで現地の人と接触した経験ありと想像される。そして、東洋の盟主日本人である事への自負も築かれたに違いない。トシにはどこかそんな臭いが感じられる。
 それで、アフリカ時間もアフリカ感覚も受け付けない。だから、相手をぶん殴っても入魂のワンパンチで職責精神に覚醒せよ程度の事のはずなのである。目的達成と日限に迫られてやっと和解の途に踏み入れるが、彼はこの和解とはどういう事であるかうまく呑み込めているだろうか?

 歓送の宴で歌われる「トシの歌」の繰り返す辛く厳しいトシの指導を笑って回想する彼等の打ち解けた様子を好意の現れとして消化しても、その好意とは自分の何への反応であるか理解できただろうか?長く支配を続けた白人と何かが違うのか?自分はただの行きずりの客と鷹揚に受け止められたに過ぎないのか?
 忘れがたいのは何かとトシの日本精神主義の矢面に立った居候ハミシである。トシといたこの短い間に妻と別居を余儀なくされ、離れたまま妻に先立たれ、象に襲われトシにはぶん殴られるわしながら、肌身でトシと日本=トシ精神に接してきたわけである。
 それでも嫌気がどう納まったのか?タンガニーカの果てまで付き合ってコーク瓶に海水を汲めば、それがトシの国の香りを伝えるように思うのだろうか?なにしろ、ここはアフリカの国で異人はトシの方である。幾ら、世界に冠たる日本人を気取ろうと珍奇な異人は、家一軒を建てるにもわざわざ船荷でプレハブ・システムを送り込み、労働観、組織論の日本人的なところを印象付けるまでの事である。それは、トシにおいても意気込めど空振り続きの末の業務完遂に安堵の一方、何かを成し遂げ切れなかった思いが募るのではないか?

 「わたくし」であるとはそんなに結果オーライを許せるものではない。それこそ、そのむかし、日本が戦禍を広げて五族協和を空念仏、四族を操り絞り上げるおだて文句にしてしまったのとさして変わらないように思えるのではないだろうか。
 日本までもう海一枚のところに立って思うのはそんな、悪人的意識の鬱積、し残したことが成しおおせない事なのかとの疑問かもしれない。

 この物語は61年を描いているが、映画公開は65年。この4年で日本は変わったしアフリカはもっと変わった。なにしろ地元の政府ができてタンガニーカもオリンピックで日本にやって来てしまうのだ。その時から遡って新しい日本とアフリカの事始めを振り返り、ならばどうすればいい?と切り返されるようである。
 その答えとして、こうしてトシをして戸惑わせしめ、マウンテンゴリラ研究の大西氏をして親方日ノ丸なんぞを頼みとするなと言わしめるのである。結局トシも頼る日の丸がないから七転八倒して自身の物足りなさを痛感するわけだ。それを称揚した氏も大変酷烈な生き方で一年経って里に戻らなければ預けた資料は破却せよとの事。あるゴリラ一家の滅亡を見届けてさらに奥地へ分け入りT大先遣隊のように未知の風土病に斃れるのか、こののち不安化する政情に翻弄されるのか、開発の波と闘い消えてゆくのだろうか。トシが海辺から動けない一端は自身の物足りなさに加えて大西氏の恐るべき執着に後ろ髪惹かれるところがあるからかもしれない。

 その時、ふと思い出すのは小松左京の「いっひっひ作戦」である。
 アフリカの猫の額より小さい新興独立国での事、大呪術師「ジジ・レタソーク」から国家呪術師「ジジ」の称号を引き継いだ若手人類学者(日本人)がイカレ気味科学者(ドイツ人)と手を組んで水虫菌兵器をはじめとするオリジナルBC兵器で、資源獲得戦争を仕掛けてくる地域大国と黒幕の超大国の挑戦を撥ね返し、生物資源を武器にも元手にも使って独立の維持を図るという話だが、このジジ人類学者が「トシの歌」におけるT大調査隊の元ネタであり実在した今西錦司・伊谷純一郎らの京大アフリカ学術調査隊の架空の居残り人類学者という事になるのである。
 日本にとって南極観測隊に次ぐ規模の官営海外派遣団をネタに小松ははみ出し者ジジを生み、監督の羽仁は同じくはみ出し大西(これは58年から調査を始めた伊谷を意識しているようでもある)と元々はみ出していて改めて、も一度はみ出そうかと思案する者、トシを合わせて生もうとしている。

 彼らはなぜはみ出そうとするのか、それぞれ人類学者であるジジは大西と重なり、技術者であるトシは技能においてアフリカ人に関わり得るところが大である。日本人とは別時間、別感覚で生きていそうな彼等に交わって、日本人の土台を削っても交わる理由が感じられるならそれが誰でもない自分の道となるかもしれん、「自分」なんて遠くへ出かけてみなきゃあ分かりゃせんよと世界に冠たる65年人に告げているようだ。
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