にじのすけ

アメリカン・ビューティーのにじのすけのレビュー・感想・評価

アメリカン・ビューティー(1999年製作の映画)
3.1
レスター(ケビン・スペイシー)は広告業界で働くリストラ寸前のサラリーマン。不動産業を営む妻キャロリンとの関係は冷え切っており、娘のジェーンは自分に無関心な両親に傷ついて反抗的になっている。ある日、レスターはジェーンの同級生で友人のアンジェラに一目惚れ。アンジェラと「寝る」べく、レスターは自分の生活を変える。そこにジェーンと風変わりな隣人リッキー、キャロリンと浮気相手の不動産王それぞれの恋愛模様が重なっていき、やがて事態は思わぬ展開を迎えることに・・・。
原題でもある「アメリカンビューティー」とは薔薇の品種であり、アメリカ的美徳の象徴でもあります。とともに、冒頭のシノプシスからも容易に察せられるように、当時から現代に至るまで続くアメリカの「古き良き家庭像の崩壊」を象徴するレスター家族の姿や精神のあり方に対する皮肉にもなっています。ただ、そういったある種社会的なテーマ性は、本作の鑑賞に関する限り、あまり重要じゃないように思います。本作の魅力は、誰ひとり完全な意味での悪人は登場せず、全ての主要キャラが欠点を抱えつつも人間味を兼ね備えた存在として活き活きと描かれている点にあり、そういう意味ではどの人物に共感するかが、本作を楽しむ一つのポイントとなります。一応、メインキャラはレスターなのですが、私は、自分が好きな女の子ジェーンとカメラ越しにしかコミュニケーションできないリッキーに一番、共感を覚えました。彼の姿は直近(13年9月公開)の話題作「クロニクル」の主人公を彷彿とさせます。どちらもいわゆる「コミュ障」ですね。後者はさておき、本作のリッキーはカメラを通して自分なりが感じる「美」的風景を撮影したりするわけですが(例えば風に舞う白いビニール袋を延々と映し続けた映像とか)、それがまあちょっと面白いというかやっぱり病んでるな、というか。でもなんか共感してしまうんですね。なぜなら本作を通じてほとんど感情を表に出さないリッキーの内面の傷が、そんな行動を通して伝わってくるからです。そんな彼が、家族の無関心に傷つき自分の容姿にも自信がもてないジェーンに惹かれる気持ちがとても純粋に思え、またジェーンもそんなリッキーに惹かれ、最後のほうでは2人とも家を出ることを決意します。
以上はどちらかというとサイドストーリーなのですが、99年公開の本作を今、製作するとなったら、私は間違いなくこの2人を主人公にするでしょうね。あと蛇足ですが、そんな魅力的な登場人物たちなのですが、どの人たちも程度の大小はあれ、かなり病的なまでにテンションがおかしいので、本作を「家庭崩壊のシリアスドラマ」というよりは、一種のブラックジョークまたは風変わりなコメディと思って観たほうが良いと思います。
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