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アメリカン・ビューティーのCinemanのレビュー・感想・評価

アメリカン・ビューティー(1999年製作の映画)
4.7
これほどレッドローズ🥀が効果的だった映画って他に知らない。

いやあー、こんなに映画にぐさっとやられたのはいつぶりだろう...

ストーリーの展開とか、台詞だけだったら...それこそシナリオだけ読んでたら、この作品ってすごく陳腐な低予算感しかないくらいのもの。
でもこの作品がそれで終わらなかったのは、目の前で展開してることと、その画面が真に意味することが絶妙にずれていってること。映像表現に幾重ものレイヤーが慎重に重ねられている感じ。
降ってくる薔薇とか、瞬きしない男たちとか、死に顔に微笑むとか、薔薇の前で写真を見てると銃口と一直線になるとか...どこかアンバランスででもやりすぎてない。そういう映像的なディティールが、ストーリーラインをどこかの次元で捻じ曲げていってる。

家庭の不和とか、夫婦のすれ違いとか、ミドルライフクライシスとか、ドラッグとか、少女の背伸びとか、告白できなかった男の気持ちとか..ストーリーラインから言うと、そう言う物語のはずなんだけど、そう見えないと言うか。
そういうものの後ろに何かが眠らされているような感触が伝わってくる。
そのすぐ後ろのレイヤーは、アメリカンライフなんだろうけど、それでもまだその下に何か眠ってる。それが死生観の話なんだよね、きっと。

アランボールはいつでも大好きだけど、こんなにヒッチコックを感じたのは初めてかな。
思えばヒッチコックのテーマはいつもアメリカ社会への観察だったような。日常劇ながらそういう規模感もあって、それでいて幻惑的でローキーにドラマチック...そう言われてみると彼らの作風には共通点が結構ある。寒い日に夜とか、雨の夜とかに見たくなる感じね。
アランの作品の底流はいつもぶれず変わらず死生観に行き着く。
6 feet under , true blood…こういうレイヤーの奥にある絶対的なメメントモリの姿勢。6 feet underでより鮮明だったように、死は予測されるもので、むしろ死から語りは始まることに安心感すらある。だっていずれそこに死はあるわけだから、全てのドラマは必然的にどこまで行っても滑稽。ドラマチックであればあるほどに滑稽だよね。彼の描く死はいつもタペストリーのようで、一直線ではなく誰かの死にはあらゆる人の人生の縦糸と横糸が絡まり合ってるし、織り終わればこそこには美しい作品が誕生するというもの。だから、いつだって彼の作品で目撃される死は、究極的にはsmileなんだよね。
こうしてみると、ようやくtrue bloodの最終話における彼の死がまた理解し直せた気がする。やっぱりあれはアランボール的死生観の集大成だなあと納得。
最近デキリコなんか見てきて、シュールレアリスムって、つまるところメメントモリなのか!って腑に落ちたのですが...彼らが絵画で懸命にやってたことって、この作品見たら一発でわかるじゃんって思ちゃった。

ああ、この作品は永遠に古びることはないだろうなと思わされた。この最後のレイヤーが彼の作品を貫く限り全ての作品がそうだと思う。

悔しいけど、この作品のケビン・スペイシーの才能には本当に脱帽..
あの外連味と浮世離れしてでも最も平凡な男というところを、怪演というような誇張なくして演じた選択がすごいし、それで本当に演じきれちゃうんだからなあ...
ただただ役者本人が残念...

小津映画から(でもないか)、役者に棒読みさせることで、日常劇ながらそこに違和感を生じさせる演出方法がある。この映画の面白いところは、主人公とある男の子の2人だけが目が座って棒読みで、周りの役者は普通に演技してるところ。正直、全員が笠智衆みたいな演出はかえってドラマチックすぎて好みじゃないんだけど、一部の人物に使う演出は効果的だなあ!!と気付かされた。
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