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アメリカン・ビューティーの映画を見る猫のレビュー・感想・評価

アメリカン・ビューティー(1999年製作の映画)
4.3
子供の頃、母が言った。
「アカデミー賞取ってるのに、全然面白くない」と。
それが『アメリカン・ビューティー』だった。
不思議なもので、母の言葉というのはまるで神の言葉のように脳裏に刻まれているものである。
無意識にずっと見るのを回避してたが、この度観賞、親の言葉ほど当てにならないものはないと痛感した。
おい、母よ。
めちゃくちゃ面白いやないかい。
アメリカン・ビューティーというのは、薔薇の名前らしい。美しく、静かに蝕まれる花という喩えか。
でもこれは、単なる皮肉?
いや、蝕まれているから、美しいと、本気で「普通」の人間の相反する心理を讃えているんじゃないだろうか。
ファムファタールのような美少女は処女で、厳格で男性的で保守的な大左はゲイで、父親嫌いの娘が実は誰よりも父親に関心をもってほしいと願ってる。
そのギャップ。
彼らは自分の内なる心理を嫌悪し、隠そうと、正反対の行動をとろうとする。
だから、誰よりも不機嫌そうだった男が、最後に浮かべるのが満足気な笑みなのだ。
彼は「当たり前」に対する嫌悪を止め、その美を認めて、笑う。
我々に見本を示すように。
平凡で、ありふれていて、当たり前で、普通で、見回して、並外れていない、どんな人間も皆そんなもんじゃないか。
でも、風に舞うビニール袋は、どこに行くか誰にもわからない。
1つとして同じ舞い方をする袋はない。
だから面白い。
世界は面白いし、どこまでも美しい。
この映画を単にアメリカの現代社会にメスを入れた、中流家庭の崩壊を描いた痛烈なブラックコメディという時事的に纏めてしまうのは、少し哀しい。
きっと、もっと面白い。