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アイガー・サンクションのnetfilmsのレビュー・感想・評価

アイガー・サンクション(1975年製作の映画)
3.3
 スイス最大の都市チューリッヒ、かもめが飛ぶ港町のテラス席で男はビールを2,3度勢い良く喉に流し込む。橋の上を歩く男の姿。キャラメル売りから一粒買うと、石畳の路地を抜けて、エレベーターのないアパルトマンの階段をゆっくりと昇っていく。階下から聞こえるクラシック・ピアノの調べ。やがて自室に入った男はキャラメルの包装を剥がし、中に入ったマイクロチップを光にかざす。その裏でドアを開ける不審な物音。「誰だ?」と言いながら急いで問題のブツを口の中に飲み込んだ男は不審者ともみ合いとなり、ショッキングな方法でみすみすマイクロチップを奪われてしまう。一方その頃、とある大学では教授による卒業講義が行われている。ジョナサン・ヘムロック教授(クリント・イーストウッド)による講評を、一列目に座った女学生(何と『ハリウッド・ブルバード』のキャンディス・ライアルソン!!)が足を組み替え、教授を誘惑しながら見つめている。まるで『サンダーボルト』の牧師のような胡散臭さだが、教授室に無断で立ち入る男がイーストウッドの隠れた本性を明らかにする。彼は元CIAのエリート・スパイであり、かつての諜報活動を引退したと言って回るが、組織のボスであるドラゴン(セイヤー・デイヴィッド)はヘムロックにしか出来ない仕事だと2つの殺しを依頼する。

この組織のボスであるドラゴンの造形がB級感を醸し出している。眼病を患い、一面真っ赤な部屋で暮らす異様な光景、身体中の血液を全て入れ替え、生き永らえる姿。その超然的なモンスターじみた男の命令を、苦々しい表情で聞くヘムロックの表情こそ、イーストウッドの代名詞となった怪訝な表情である。美術コレクターとしても知られる彼の趣味をドラゴンは巧みにおびき寄せる。それならば1人だけという条件で渋々依頼を受けた男だったが、ここにかつての登山家としての野心が顔を見せる描写がさりげなく現れる。当初は配達員として相手の懐に入る計画だったヘムロックの算段が、正面突破では不可能だと悟ると、男は唐突に裏路地へと回る。そこに唯一ある突起物は配管だけと悟った男は、躊躇なくその配管をよじ登る。落っこちれば即死の高さまで登ると男は窓を開け、ターゲットの部屋へと忍び込む。この仰角-俯瞰の連続性を意識した高低差のあるショットの妙が、クライマックスのアイガー北壁に繋がるのは云うまでもない。西部劇において絶対的価値を持った銃を奪われたことで、男が咄嗟に取った窓からの決定的な突き落としが、不穏な落下のイメージさえも決定付ける。任務を終えた後、飛行機の帰り道で偶然出会ったCAのジェマイマ・ブラウン( ヴォネッタ・マッギー)、中盤のトレーニング時、ぶらさげられた人参のように機能するアジア系のジョージ(ブレンダ・ヴィーナス)など、徹底したマイノリティに対する視線はイーストウッドならではの世界観を成す。アジア系のジョージのルックスには『ダーティハリー2』における階下の住人を想起せずにはいられない。

女たちの裏切りにより、一転して窮地に陥る主人公イーストウッドの苦悩は、処女作『恐怖のメロディ』やドン・シーゲル『白い肌の異常な夜』のような心的トラウマを齎す。学生には手を出さないが身上の大学教授だが、随分あっさりと大人のハニー・トラップに嵌まる。クライマックスの最大の失敗も、アンナ・モンテーニュ夫人(ハイディ・ブルール)とその夫ジャン=ポール・モンテーニュ(ジャン=ピエール・ベルナルド)との不和が、最終的なチームのバランスの不和の遠因となる。今作は当初、師匠であるドン・シーゲルに監督を依頼したが、撮影所育ちのシーゲルには今作の過酷さが予想出来、すぐに断られたという。それでもイーストウッドが強引に監督を務めた今作は、撮影2日目に登山スタッフが落石で不運にも事故死し、撮影中止の可能性を何度も考えたという。結果的に効率的な撮影が許されず、険しい山に自分たちが登ることの過酷さが際立つ内容になったが、CGが無かった時代、生身の俳優が演じきったマテリアルだけでショットを繋ぐのはかなりの困難があったと予想される。特に中盤のイーストウッドとジョージ・ケネディ(前作『サンダーボルト』の犬猿の仲コンビ!!)が登ったアリゾナにあるモニュメント・バレーのトーテムポールを、ヘリで遥か上空から撮影したつまようじ大のトーテムポールには、いまだに高所恐怖症でなくても、震えるような感覚を受ける。イーストウッドの空間把握能力はもはや、ブルース・サーティースの力に頼ることなく、フランク・スタンリーでもそれ以上の効果を上げていることに注視せざるを得ない。マイルズ・メロー(ジャック・キャシディ)のまるで『続・夕陽のガンマン』のトゥーコを彷彿とさせる置き去りシーンなど、本筋に関係ない部分にも見所が多い実に異色な冒険物である。
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