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あゝ声なき友のotomisanのレビュー・感想・評価

あゝ声なき友(1972年製作の映画)
4.5
 生きて虜囚の辱めを受くまじと教わって兵になるのだそうだ。そんな日本兵が投降すると米軍尋問官に皇軍の内実、兵備、行動、士気、意外にもよく口外するのだそうだ。生きて売国利敵の恥をさらさぬ教えが無いと、捕虜になっても何が国のためになるか、またならぬか訳が分からなくなるのか。それとも、だからこそ死ねと教えるのか?
 渥美の隊の出動先はガダルカナル島だという。のちの別名は"餓島"という。戦闘で死に、また文字通り、補給を断たれ飢えて死ぬ。兵が生きて戻った例が稀な島だ。そこから知恵を巡らして生還した男が自身の遺書の送り返しに苛まれる。たぶん。
 死ねと引導を渡され兵になり、ひと度は娑婆に戻り再度召集を受け、妻への遺書にはどんな清らな事を書いたろう。補給も叶わぬガ島から自軍の手筈でどうして離脱できようか。おそらく僚友に顔向けできぬ方法で生還したのだろう。送還されれば妻には新たな男があって別れられぬという。ならばと離別し添い直した街娼の女と三年。そこにもう一人の生還者渥美が遺書を携えてやって来る。
 命令通りに働いて二人以外みな死んで、一人、渥美は全隊の輿望を担って遺書を届け続け、今一人は死者続出を尻目に生還。頭良く立ち回っても今、何が幸せだろう?そしてまた、遺書が渥美が現われて生きて戻った居づらさを思い出させるか?それとも、死んだ仲間が頭をよぎるのか?
 戦う事なく帰還した渥美が生きてこれある時間を遺書配達に費やす事の律義さ誠実さに感じる美しさとは裏腹に、受取人の事情は無残だ。一方、餓島戦を経て生還した男はそんな事は忘れろという。僚友はみな死んで、渥美だけが気付くかもしれない生還の事情が、渥美と遺書の来訪でまた男の脳裏によみがえるのだろう。渥美は忘れる事を、世間も誰も忘れ去るのを怒るが、あるまじき事も含め戦場の全てを知っている男はそれだからこそ忘れ去ることも怒る事もできないだろう。それでも案外そんな男の事情を理解できるのも渥美ひとりなのかもしれない。カウンターの男が渥美の去ったあとをじっと見ていて、ふとそう思った。
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