デニロ

硝子のジョニー 野獣のように見えてのデニロのレビュー・感想・評価

3.0
アイ・ジョージのヒット曲「硝子のジョニー」で一儲けしようと企画された作品だったようなんだけれど。芸術祭参加のなんだかよく分からぬ話になっている。劇場のチラシには、/貧しさから売られた娘(芦川)と、人買いの男(アイ)、そして娘を助けるジョー(宍戸)。さすらう女と男の激情を綴った異色作。無垢な心を持つ女を気高いまでの存在感で熱演し、芦川の最高作との声も。/と記されておりますが、芦川いづみも宍戸錠もやり過ぎなんじゃないかと思うほどの圧力です。もちろん、蔵原流の演出なんだろうけれど。

上京して長らく阿佐ヶ谷に住んでいた。最近、再び映画を観る為に出掛けるのだが、かつて飲み語りした店が当たり前のようになくなっていて、映画を観た後でちょいと寄ろうという気持ちにならないのはさみしい。その当時、阿佐ヶ谷の飲み屋街にもギターをポロンポロンと鳴らした流しがいて賑やかだった。もっともわたしの歩いた店たちには入ってこなかったが。金にならぬからだと思う、多分。ある時、友人とフラフラ歩いていると、如何にもという感じのカウンターバーの前で、おにいさんおにいさん、とふたりの女子に呼び止められて入ってしまった。狭いカウンターの奥に厳つい男が止まっている。陽気な女子はチャイナガールで、名前を聞くと、ひとりが、阿佐ヶ谷の阿、伊勢丹の伊、でアイだと名乗っていた、等と奥の席を気にしながら戯れていると、ドアが開いて流しが入って来る。/ひとつどうですか。/と言われたけれど、/いやいや、そんな身分じゃないんで/なんて馬鹿な受け答えをしていると、奥のカウンターから/ひとつやってくんな。/無事に会計を済ませ店を出た後、あれは筋もんだよな、と話したのは言うまでもないが、本作で久し振りのアイ・ジョージを観ながらそんなことを思い出す。

稚内の昆布取りの娘芦川いづみが玉転がしのアイ・ジョージに買われるのだが、曖昧屋の酌婦なんてイヤと脱走。無賃乗車で出くわした宍戸錠に救われて、そのままくっ付いていく。宍戸錠の役割はよく分からんのだが競輪の予想屋をしながら若い競輪選手平田大三郎を見込んで、お前はトップになれると個人授業をしている。宍戸錠の思い入れは同性愛的恋情に溢れていて狂おしいほどだ。平田大三郎のために芦川いづみを売り飛ばし金を作るのだが。結果、平田大三郎は女と逃げる。騙され裏切られ金を巻き上げられた傷心の宍戸錠は町を出る。

前半部は芦川いづみと宍戸錠を中心に描かれるのだが、忘れた頃に登場するアイ・ジョージが再登場するや物語はもはや物語ではなくなる。元々、アイ・ジョージのヒット曲「硝子のジョニー」を当て込んでキャスティングしてしまった以上、見せ場を作れよとでも言われたのだろうか、脚本家は徐々にあらぬ方向に進んでいきます。玉転がしだから恨まれているだろう。買い取った女が死に、その兄貴が恨み骨髄で探し回る。ばったりとふたりが出会うと。兄が妹の仇とナイフで刺す。

その際の芦川いづみの心情は全く理解できないのだが、悪行の数々で警察に捕らわれた手負いのアイ・ジョージの面倒をみたい、と刑事に願い出て介抱する。そして、アイ・ジョージは語りだすのです。昔、俺は歌手だった。支えてくれた女がいた。苦労が報われレコーディングの運びとなり、その夜よろこび勇んで彼女の待つ部屋に戻るともぬけの殻。傷も癒え、逮捕のため退院する朝、昔の仲間からの伝言が届く。探している女の居所だ。いてもたってもいられぬ。刑事を張り倒して逃走。行った先に女はいなかった。それからギターを抱えて流しをしながら彼女を追い求める。

芦川いづみは泥だらけになりながら故郷稚内を目指す。宍戸錠は偶然平田大三郎と出会う。女には逃げられたと、号泣して許しを請う平田大三郎を妖しく抱きしめる宍戸錠。一方のアイ・ジョージも偶然女と出会う。あなたの一途なやさしさが怖かった、さようなら。

ラスト。稚内の海岸に引き寄せられる三人。スクリーンに映し出される三人の姿を観ながら、ジェルソミーナじゃないか、ザンパノじゃないかと気付く。よくもしゃあしゃあと、というのか切羽詰まったというのか。どうしても芸術祭参加にしなくちゃいけなくなったからなのか。

さて、稚内の昆布取りの娘芦川いづみを観ながら、阿佐ヶ谷の同じオンボロアパートに住んでいた浜頓別町出身の女子を思い出してしまう。当時全盛だったキャバレーに勤めてると言っていた。そして忽然といなくなった後、勤めていたキャバレーの人間が手土産をもって彼女のいた部屋にやって来た。/この部屋の人は?/さあ。/彼女に何が起こったんだろうか。

1962年製作公開。脚本山田信夫。監督蔵原惟繕。

神保町シアター デビュー70周年記念 恋する女優 芦川いづみ にて
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