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夏目漱石の三四郎のnagashingのレビュー・感想・評価

夏目漱石の三四郎(1955年製作の映画)
3.0
いわゆる第一の世界と第二の世界をほとんどオミットして、第三の世界との対峙のみに焦点をしぼった『三四郎』の映画化。母の手紙や郷里の回想は完全にカット、広田先生は日本滅びるとか言わないし、与次郎は文芸時評に端を発する企てをたくらまない。その代わり、漱石が美禰子(というかそのモデルの平塚明)について言及したさいに使った有名な言葉、「アンコンシャス・ヒポクリット(無意識の偽善者)」を広田先生による美禰子の分析という形で語らせるなど、けっこう踏み込んだ解釈を導入している。総じてなんとか明晰な青春映画に再構成しようという苦心がみられるものの、あまり気が利いた脚色とは言いがたい。配役も微妙で、八千草薫は美禰子を演じるには柔和すぎるし、笠智衆は広田先生を演じるには朴訥すぎる。金子信雄の原口さんも輪をかけてうさんくさい(もっとも、この人の場合は後年に演じた役のせいかもしれないが)。
しかし、映画としての見どころがまったくないというわけでもなく、撮影が玉井正夫なだけあって非常に端正。とりわけ、三四郎池での出会いの場面の美しさや、広田先生の新居の二階から覗く眺望と屋内の陰影、洋装(「光る絹」!)の八千草が上目づかいで山田真二を見やるまなざしは忘れがたい印象をのこす。
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