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エム・バタフライのhasseのネタバレレビュー・内容・結末

エム・バタフライ(1993年製作の映画)
4.4

このレビューはネタバレを含みます

演出4
演技5
脚本4
撮影4
音楽5
技術4
好み5
インスピレーション4

○「京劇はなぜ男が女を演じるか知ってる? 男しか女の振る舞い方を知らないからよ」(バタフライ)

一風変わったラブストーリーとしてシンプルに楽しめる一方、教養を自負していた男の、実は教養のなさが災いして人生をハチャメチャにされるストーリーとしても受容できる、コインの裏表のような映画。

主人公ルネが自信を持つ教養とはあくまで西洋的世界に限られたそれであって、赴任する中国のことは何も知らない。「京劇では男が女を演じる」ことを知ってさえいれば、役者ソンが女装した男であることにすぐに勘づいただろう。

逆に考えると、ソンが男であることは薄々勘づいていた上で愛したとも考えられる。彼が愛したのはソンではなく東洋的なビジョンを反映した幻の女性像ではあったが。『蝶々夫人』で描かれる、西洋人の男性に虐げられてもじっと耐える、「最高の自己犠牲」を体現する東洋人女性という人物像にルネは取り付かれる。ソンがその人物像を剥離した状態で彼の前に現れると、彼は絶望した態度を取る。そしてラストシーンに至る。逮捕され刑務所で暮らす彼は、芝居の場を設けて一度は消えてしまった幻想を、自分の身体で再現することを試みる。その再現は、大勢の西洋人の男性の観客に観られることでより被虐性が強化され、ルネ自身が自殺することで完成する。

ある時までは対象として愛していたもの(幻想の東洋人女性像)にのめり込むあまり、自分自身がそれになりきり、最高の理想系へと昇華させる思想へと至るというのは、クローネンバーグ監督ならではの常軌を逸した愛情描写で、ゾクゾクする。まぁただ、ソンの指摘通りのステレオタイプな文化的バイアスのかかった愛情の形通りなのが、一捻りほしいところなんだけれど。

蝶々夫人=マダム・バタフライを、「M・バタフライ」としているのは技巧的。MはMrsにもMrにもなりうる両義性を秘めている。

クローネンバーグ監督は京劇そのものにはさほど興味ないのか、京劇のダイナミズムはあまり感じられず(さすがに『さらば我が愛 覇王別姫』を上回る作品はそうそうない)。

しかしやっぱりクローネンバーグって大好きだ。静けさに包まれた空間で、ジェレミー・アイアンズとジョン・ローンがボソボソ喋ってるショットがいくつか続いて、場面が替わって、ハワード・ショアの感情の底辺のあたりをさわさわと撫でてくるような音楽が場をつないで、またジェレミー・アイアンズがボソボソ喋ってるみたいな、独特の空気感が最高。ごみごみした中国の雑踏さえ静かに見えてくる。『クラッシュ』『イースタン・プロミス』『ヒストリー・オブ・バイオレンス』等もみてきたが、なぜかこの演出術に猛烈に惹き付けられる。
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