Dana

男はつらいよ ぼくの伯父さんのDanaのネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

男はつらいよ42作目、満男の話がメインに置かれた最初の一作

この映画を見ていて内容を違和感なく受け入れられるのは、登場人物がとても自然な流れで行動と発言をしているからで映画のための強引さを全く感じないからだと、ふと気づいた。青春真っ只中の人間が説明もなく突然大声で叫びだしたり走り出したりしない。したとしてもなぜそうしたかが分かるような描写が十分にある。「青春だから」と分かった風な顔をしてなんの説明にもなっていない事を言う映画とは違う。
青年期後半の人間の抱える苦悩と親との衝突、そして叔父の存在。

映画は現実とは違う。登場人物の言動は全て脚本家という一人の人間の頭によって考えられ、2時間の映画の中で起承転結のある話を展開させるため時にその役割のためだけに存在する。ではその中で登場人物が”自然”な動きをするとはどういうことか。

一つは先ほども述べた通りアクションに対する説明がなされているかであると思う。現実では違うかもしれないが映画の中では全ての出来事に理由付けがされる。いわばドミノ倒しのようにスタートとゴールがあり、スタートで倒れた駒は次の駒を倒し、前の展開が次の展開を引き起こし、全ての駒が倒れるまでそれが続く。(現実ではそのドミノが平行線上で何個も行われている。映画ではその中の一つか二つかのドミノを切り取っているとも考えられる)
外部から力が加わるのは最初のスタート(キーインシデント)のみであり、あとの展開はすべて前の展開に起因して起こることが”自然”と感じる一つの理由であるので、視聴者としてはそうでなく発作的に主人公が走り出したりすると困惑する。
また展開と展開の間をつなぐのは勿論登場人物たちの言動であるので、そこに”自然さ”がないと違和感を感じる。言動の自然さとはその人物がその言動をしそうかどうかといういみで、要は人物設定とその説明のための描写がしっかりとなされているかどうかという話だ。最初に述べた男はつらいよ、山田洋二と朝間義隆のすごさはココの話で、登場人物のアクションがすべてそのキャラ、年齢、性格、生きている時代に適合したものになっている。先の人物描写という点ではシリーズものである男はつらいよは何作もかけて登場人物を説明できるのでずるいようにも思えるが、逆を言えばそれだけ説明がなされてしまっているので、その人物にそぐわない発言や行動をしてしまうと観客はすぐにその違和感に気づくだろう。そんな中男はつらいよでは、40を超える作品の中でブレずに変わらない人間、また成長期を経て変化していく満男を見事に描写している。

さて、映画の中の”自然さ”の一つは展開の連続性と人物設定であった。もう一つはやはり現実世界との適合性ではないか。日々現実を悲しく生きる我々にとって映画の世界は逃避先でもあるが、一方でそこにはある程度の現実味がないと面白くない。舞台が魔法学校であってもエルフやドアーフの居る異世界であっても、どこかに現実と同じもの、共感できるものが存在するはずである。その一つが人である。映画の中に現実にもいそうな人や家庭があるとそこに現実味を感じる(たとえ実際に居なくても)。
「いやいや、寅さんみたいな人がいるわけがないじゃん笑」
その通り。寅さんみたいな人は誰も社会であったことがないだろうし見たこともないだろう。ではさくらや博たちはどうだろう。満男は?
「まあ、ああいう家庭は普通にあるんじゃない?」
なるほど。ではあなたは諏訪家のような家庭を実際どこでみたのだろうか?
「...」
あなたの家庭は諏訪家のような一般的な家庭でしたか?
「...違いますけど、でも心配性の母親と頑固な父親に反抗期の息子なんてどこにでもいる”普通”の家族じゃないですか?」

普通なんてそんなもので、実際にみたり聞いたりしていなくても想像である程度決まってしまうものだと思われる。知りもしない大阪のおばちゃんのモノマネに笑ってしまう時のあの存在しない共感と同じで、人は実際に経験しなくても本や映画や人の話で見たり聞いたりした情報である程度の普通を作り上げる。
話がそれたが、つまり山田洋二の作る登場人物には現実を生きる人間の血が通っているとでもいうか、物語の中の登場人物にしては妙に現実味がありすぎる。そういう意味で、男はつらいよの登場人物と少年漫画に出てくる正義感あふれる熱血友情主人公みたいなのは対照的かもしれない。

・斜めの関係
悩みを抱えていた満男が両親には全く話さなかったのに、叔父である寅にその悩みを打ち明ける。ある本の一部分を引用する。

「成人アレルギーのゆえまっとうな形では治療を求めてこない彼ら青年に近づきうる唯一の方法は、私の思うには叔父₋甥(ないしは叔母₋姪)的関係をつくることしかない。(中略)父-息子という直系的関係に対して、「斜めの関係」といってよい。叔父はとらわれない視点を青年に向けることが出来る。情緒的にまきこまれたり、愛憎のしがらみに溺れるといった危険が少ない。父親程世間的面目や責任をその青年に対してとらずともよい。そのことが準治療家的条件となる。父親と違って自分が無責任でありうる程度に応じて、それだけ青年の言葉に素直に耳をかし考える自由度を増すというわけである。甥の方も叔父に対してなら、息子として父に対する場合には見せられない顔を見せることが出来る。」(笠原嘉『青年期』)

まさに今回の満男と寅の関係である。つまり、青年期の満男にとって寅の存在は映画のストーリー上の意味だけでなく、本当に必要な存在だったと言える。

・丁度いい戸川純
元気な居酒屋の店員役で地味すぎることもなく目立ちすぎることもなくちょうどよく存在感もある。役柄も良かった。
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