老人XY

南極料理人の老人XYのレビュー・感想・評価

南極料理人(2009年製作の映画)
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映画を観て「ほっこりした」って感想を言うのも聞くのも虫酸が走るほど嫌いで(狭量で恥ずかしい)、ほっこりってなんだよバーカ!!!って小学生みたいに叫びたくなるのだが、沖田監督の作品はほっこりって言葉がよく似合う。なんか悔しいけど。
(心が温まるのがほっこりで、股間が温まるのがモッやめときます)

しかしあれですよ、こんな閉ざされた地帯でサスペンスもバイオレンスも起きなかったのは2つ理由がありますね。1つは言わずもがな、毎日の飯が最高に美味しかった事。もう1つは男だけだった事。皆が中学生みたいにはしゃいでいられたのは女がいなかったからですよ。ここにサークルクラッシャーみたいな奴が乱入してきたらそりゃもう遊星からの物体Xや東京島みたいな疑心暗鬼に駆られて人が次々血祭りに上げられるスラッシャーになっていたのではないでしょうか。

「涙と共にパンを食べた者でなければ、人生の本当の味はわからない」
と、大昔にゲーテおじさんがなんかボヤいたそうです(これ確かランチの女王でドラマが始まる前か後に毎回出てましたよね…あぁ森田剛…ヒメアノール…)
(この言葉自体の解釈も調べるといくつかの視点があって面白い)
人が涙を流す時、つまり感動する時ってのは言い換えると「何かに気付いた瞬間」だと思うのです。
堺雅人は(恐らく一度しか揚げてないであろう)唐揚げを食べながら「胃にもたれる」と言って泣いていましたが、あれは何に気付いたのでしょうか。もちろん、家族と唐揚げを食べた時の思い出が重なったというのもあるでしょうがそれだけではないだろうし、皆が作ってくれたから泣いた?
うーむ…なんかふわっとしか言葉に出来ないのでまたしても悔しいです。

飯を作って食べた時に、何かが足りないんだよなぁと言うと愛が足りないんだよ!とふざけて返されたりしますが、それは本当だと思います。
美味しさを極める、という探求心だけで料理を作ってる人って、もはや料理人というよりは研究者に近い(のかなぁ…知ったかぶりで言い切れない)。
相手が喜ぶ顔や姿を眺めていたい、みたいな欲求が人が人に料理を作らせる理由、大きく言うと料理が発展していった理由の1つとなりえるのかなぁと。
そういう意味では「冷たい熱帯魚」での家庭の食卓シーンは文字通り冷たい描写だった記憶がある…。もはや現代では冷凍食品をレンジでチンしてくれる事すら愛と捉えろと?いや最近の冷食はメッチャ美味いがね!

きたろうがラーメン食べたくて泣くシーンはベストアクトなんじゃないか?一時期ホームレスみたいな生活・今も金欠で1ヶ月食費15000円の身としては笑いながら共感した。
(余談ですが、演者の名前でシーンの説明するのって自分で悪癖だと感じてて、出来る限り役名で感想言いたくて、でも覚えられないんですよね…。記憶力の問題かなぁ…何か良い方法ないでしょうか)

良い邦画を観たなぁ…って気分にさせてくれる作品でした!
料理教室に通いたくなりました!割とガチで!
老人XY

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