ぷかしりまる

コルチャック先生のぷかしりまるのレビュー・感想・評価

コルチャック先生(1990年製作の映画)
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ここ最近コルチャック先生についての書籍を読んでいる(特に井上文勝著『子どものためのコルチャック先生』という絵本をおすすめします)。
先生は医者かつ、子どものための戯曲や絵本を作る芸術家であり、孤児院の運営を行う教育者として常に子どもの自主性と権利を尊重し続けた。例えば作中では子供たち自身がひらき判決を下す「子供の法廷」が出てくる。一度感情的に子どもをぶったコルチャック先生も裁かれたという。

映画内の、コルチャック先生が親として子どもを信じ、認める態度を貫く様子に胸打たれた。チョコレートを盗んだ少年は、先生に対して「盗んでいない」と明らかな嘘をつくにもかかわらず、先生は彼の瞳をまっすぐに見つめ「信じるよ」と微笑む。その深い愛情に涙が溢れた。親が子どもを信じなくてどうする、ということだろう。

以前『ショア』を鑑賞していたため、今作に対するランズマンやエイマンの批判も合点がいった。第一にこの作品には加害者としてのポーランド人が出てこず、歴史的事実としてポーランド人たちが犯罪に加担した事実を隠蔽していると考えることができる(ぷの『ショア』レビュー、暴力への慣れ/複数の視点/権力関係と嘲笑の欄に詳細があります)。第二に死の列車から子供たちと先生が飛び出して霧の中へ消えていくエンディングには、修正主義に瀕すると考えられる。
第一の批判に対して、少数であれ善良なポーランド人がいたことも事実である。また後年ワイダは『聖週間』において反ユダヤのポーランド人を描いてもいる。
第二の批判に対して、きちんと事実についての注釈が入っている。コルチャック先生と子どもたちはガス室で亡くなったのだと。個人的に、この演出はコルチャック先生の信念が美しく表現されていて素晴らしかったと思う。コルチャック先生は移送を免除される立場にあったにもかかわらず、ユダヤ孤児たちの親として、子どもたちの傍にいる決断をした。先生は絶滅収容所に移送される子どもたちに一張羅を着せ、これから遠足に行くのだとやさしく声をかけた。子どもたちが安らかに死を迎えられるよう、死を扱った劇を子供たちに演じさせていた。そのようなことを踏まえて今作のラストを考えると、歴史修正という批判や、死を救済として描いているという批判はお門違いなのではないかと思う。コルチャック先生の信念、すなわち死という逃れられない運命の中で、親が子どもたちを想い続け、安らかな死を願ったということが幻想的な場面によって示されているのだから。

ちなみに人が人として扱われない地獄(ゲットー)における、路上に裸の死体が転がっている表現があるが、これは『ショア』もセットで見ておくと解像度が変わると思う。理解し得ないことであるが。

またゲットーを生きる子どもたちの日常と深い悲しみが丁寧に描かれており、それはコルチャック先生が子どもたちを見つめた書いた『もう一度、子供になれたら』をなぞらえていてとても良かった。

メモ
アグニェシャカホラント脚本
ロビーミューラー撮影

追記
「さあみんな、夏季休暇村へ行こう。」ハンカは兵士たちを見て異常を察し、「なぜうそをつくのですか、先生!」とコルチャックに迫りました。「ハンカ、行こういっしょに。」コルチャックはハンカの手をとり、もう一方の腕にはロムチアを抱き上げました。
コルチャックのホールの子どもたちは整然と四列に並んで歩いて行ったと言われています。警官も鞭を使わなかったとも……。岩波ジュニア新書『コルチャック先生』p. 183

追記2
コルチャック先生がどういう人だったのかということを考えるときにいつも、井上勝文著『子供たちのためのコルチャック先生』のあとがきを思い出す。ぜひ読んでみてください。