河

ボリシェヴィキの国におけるウェスト氏の異常な冒険の河のレビュー・感想・評価

4.0
プロテスタントであるキリスト教青年会のウェスト氏と、その召使いであるカウボーイというアメリカを象徴するような2人がロシアへと旅をする。2人はウェスト氏という名前の通り西側諸国を代表していて、2人に吹き込まれるソ連政権の人々(ボリシェヴィキ)は人を焼いて食うような野蛮人だというステレオタイプは実際の当時の西側諸国の新聞記事を元にしているらしい。

カウボーイは、その先入観の元ロシアの人々を銃で脅し投げ縄で縛り付ける。そして、反革命主義者(十月革命以前には貴族であった人々)はその先入観を利用し、ボリシェヴィキとそこからウェスト氏を守る人々の両方を演じることで、ウェスト氏から金を巻き上げようとする。反革命主義者は過去となった人として資本主義、民主主義的な制度を真似てウェスト氏から金を巻き上げていく。

ウェスト氏はハロルド・ロイドのオマージュとなっており、実際レヴ・クレショフは当時のアメリカ映画にかなり影響を受けていたらしい。カウボーイが敵ではない人々を敵として暴れ回る前半は、当時のアメリカのアクション映画、スラップスティックコメディへと捧げられたものなんだろうと思う。

それに対して、ウェスト氏が騙され追い込まれていく心理的な過程を描く後半はソ連モンタージュ的な実験映像となっている。クレショフ効果の本質は情報量のない背景とクロースアップによる表情の強調にもあるんじゃないかと思えるほど、登場人物たちの表情を映す際に黒背景とクロースアップが多用される。詐欺計画の進行、クロースアップによる反革命主義者達の演技とモンタージュされることによって、ウェスト氏の表情に意味が付与されていく。

最後は、カウボーイと共に本物のボリシェヴィキとして警察が現れ、ウェスト氏は助け出される。その警察の登場もまた、黒背景によって象徴的に撮られていて、さらに追い込まれた反革命主義者達を映すとき、警察には光が全く当たっておらず背景と同化し、その反革命主義者達の表情のみを強調するようになっている。

ウェスト氏とカウボーイはステレオタイプを改め、ボリシェヴィキを善い人々として認め、ウェスト氏はソ連を理想の国家のように見るようになる。そして、ソ連の子供はカウボーイに憧れるようになる。ソ連とアメリカが和解するような展開である一方で、プロテスタントや開拓者精神に代表されるようなアメリカの理想をソ連が引き継ぐようなものともなっている。

前半でアメリカ映画への憧れの表明、後半で独自の映像言語への追及を行うこの映画の構造を考えれば、ソ連モンタージュ、ソ連アヴァンギャルドの先駆者としてアメリカ映画を自分達が引き継いでいくというメタ的な意味も感じられる。

また、最後にウェスト氏の目に映るのはソ連のメディアによって理想化されたボリシェヴィキの姿となっている。ここで、反ソ連的なプロパガンダが親ソ連的なプロパガンダに置き換えられる。ウェスト氏はそれをメディアを通じて発信する。プロパガンダ的な構造に落とし込みつつも、プロパガンダに対する批判的な視点も同時に入れ込まれているように感じる。

反革命主義者の部屋に警察が入ってくるシーンなど、黒背景を活用したショットが非常にかっこよく、そこがこの映画の映像的な美点のように思った。

ボリス・バルネットやフセヴォロド・プドフキンなど後に監督になる人達が役者として演じていて、特にボリス・バルネットがバッキバキにアクションしてるのが良い。レフ・クレショフを中心に脚本家やカメラマンなど含めたコレクティブが形成されていて、レフ・クレショフはそのコレクティブのメンバーとずっと映画を作っていたらしい。
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