レインウォッチャー

ストーカーのレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

ストーカー(1979年製作の映画)
4.0
読書と映画が秋を深める①

『惑星ソラリス』に続く、タルコフスキーの「えすえふってたべれるの?」企画第二弾。
原作は70年代に書かれたロシアのSF小説だ。

宇宙からの来訪者が残していった地帯、「ゾーン」。内部では既存の物理法則が及ばない危険な現象が起こり、厳戒な監視態勢が敷かれている。しかし、ゾーンから来訪者の遺物を盗み出して売り捌く、【ストーカー】と呼ばれる者たちがおり…

とくれば、すわ『ナウシカ』、いや『メイド・イン・アビス』やん!『アナイアレイション』はほぼカバーといえそうだし、『メッセージ』みもあるか!?なんて逸るわけだけれど、そうは問屋が下さない。

Q:「ゾーン」にはどうやって行くの?
A:くるまとトロッコとかでいけるよ。

Q:「ゾーン」はどんなところなの?
A:さびれた自然公園みたいなとこだよ。

Q:「ゾーン」には何を持ってくの?
A:ナットと包帯だよ。

…異世界アドベンチャーをピクニック感覚ですなよ。
ポップな異次元も、グッズになるガジェットも、モンスターハントもないのだ。どう考えても渋すぎる。
しかし、原作と比べて必ずしも映画が滅茶苦茶というわけではない。さらにストイックにはなっているものの、元からこんな感じだ。

探検描写もあるにはあるが、最後まで「ゾーン」は人知を超えた存在であり続け、来訪者に何か意図があったのかすら定かでない。メインは、ゾーンに挑むストーカーや研究者、周りで暮らす人々の問答にある。(※1)
タルコフスキーは原作のイメージから更に内面へ潜って、お得意の詩的で圧倒的な映像美で「印象」を表現することを選んだ。その意味で、実は真っ当な映画化なんじゃあないかと思ったりもする。

映画版の筋立ては、四章に分かれる原作から設定やエピソードをつまんできて、ウォッカに酔った勢いのうろ覚えで再構成したような感じ。ストーカー業の男が「作家」と「教授」という偏屈な2人をゾーンへと案内し、「願いが叶う部屋」を目指す。

その道程は冒険という風ではなく、ひたすら自己探求の旅だ。彼らはみな思惑があるのだけれど、ちょっと目を離したらグチグチと口喧嘩を始める。言ってしまえば、ハゲた無精髭のおっさん3人が足を滑らしたりずぶ濡れになったりしながら議論するのを見守る映画なのだ。

ゾーンの存在は謎めいており、一生考察ができそうだ。ひとつ推測できるのは、「奇跡」のようなものを象徴していることだと思う。

作家 / 教授 / ストーカーの3人は、それぞれが創造 / 科学 / 信仰という人の営みの側面を担当しているようにも思える(MECEかは微妙だが)。三位一体のバリエーションなのかもしれない。
彼らは違うスタンスから対立して幸福論を戦わせながら、人生や世の中に対してうっすら絶望している点で共通している。(ロシアの人はよく絶望する。)

ゾーン=奇跡は彼らにとって希望であり、決して知りたくないものでもある。心の中の真の願望が実現してしまったら、同時に生きる意味がなくなるからだ。
ゾーンも、来訪者も、ただの現象や結果と見るのが正しいのかもしれない…しかし、何かの符号や意味があると信じていたいというアンビバレンス。

自身の創造性への問いかけも、科学による真理の追求も、神への祈りも、根源的には人が生きるための意味づけである点で同じだ。そしてその誰もが、もし目の前にすべてを解決してくれる奇跡の気配を感じたら、つい手を伸ばしてしまうのではないか。
象徴的なのがやはりラストのシーンで、コップが動いたのは電車の振動かもしれないし、夢の出来事かもしれない。でも、わたしたちの多くは「少女の超常的な力が働いたんだ」と信じたくなるだろう。

考えは尽きず、映像の迷宮に引き込まれているうちに映画は終わる。
しかし、わたしは敢えて前向きにとらえたい。そんな弱さ、曖昧さを受け入れて生きていこうぜ、水面に投じた波紋に答えが返ってくるかは問題じゃあない、と…。
そのために響く『喜びの歌』だったと、その可能性こそが映画や書物に触れる価値でもあると、意思をもって「信じて」みたい。

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なんと今作、モスフィルムの公式YouTubeチャンネルでいつでもHD画質で観ることができる。しかも立派な日本語字幕つき。
https://youtu.be/TGRDYpCmMcM

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※1:ゆえに、というか、会話文の分量が多いし全体も200ページ台なので、意外とすいすい読めてしまう。タルコフスキー映画の原作、ときくと身構えてしまうかもしれないが、軽いノリでおすすめできる一冊だ。
https://www.amazon.co.jp/dp/B0798Q4DCD