べぇちゃん

座頭市のべぇちゃんのレビュー・感想・評価

座頭市(2003年製作の映画)
3.9
去年「首」を見てなんだこの変な映画は…となり、これが北野作品では当たり前のことなのかわからず、からの観るか、座頭市!な感想です

「首」はいろんな感情がありすぎてついに感想を書けずじまいでしたが、戦国時代が好きな自分にとっては新鮮な映画で、汚いシーンも多いけど(男色がまじで汚い)楽しく印象に残っております。でたけしの時代劇ってどんなに奇妙な映画なんだろう…と期待していたので、その点でいうとちょっと拍子抜けの「王道」感はありました。
でも随所に首で感じた奇妙の「片鱗」があり、そのバランスが万人に評価されるに至ったのかな~

個人的に時代劇を好んではいないのですが、それはなぜかというと、わかりやすいヒーローがいて、ヒーローは絶対正義であり、悪人は成敗されるという構図が決定している(勧善懲悪)為、ストーリーはおのずと予定調和となります。観客はつねに物語の展開や結末を想像できることになります。それが退屈に感じてしまいます。
もちろんそれが伝統芸であり、「予定調和」を求めて時代劇を愛する層がいるんでしょう。毎回同じ展開のバカ殿で笑うように、毎回同じ展開で悪を成敗するヒーローを応援するエンターテイメントなんだろうと思うんです。
一方で「ヒーローが負けるかもしれない」作品というのは、観ていると不安になり絶望することもしばしばあります。暗い気持ちになり、楽しめず、主人公に感情移入すればするほどに主人公が不幸になっていく様をみて悲しくなる、そんな映画は万人には愛されないでしょう。
「最強の主人公」は、安心して観続けていられます。本作はそういうエンターテイメントな時代劇の伝統を継承したまじめなストーリーで構成されています。
主人公の座頭の市は盲目で知らぬ人からは按摩だと思われているのですがばくち打ちで凄腕の任侠です。原作はどうか知りませんが、任侠っていうのもヤクザ好きなたけしっぽい。
市と映画のもう一人の剣の達人服部が、雑魚と戦うときはあらゆる殺陣を繰り広げるのに最後の達人同士の勝負は一瞬で決着がつくところがむっちゃアツかったです。

好きなところ
このまじめなストーリーには多少の好感を抱くものの、自分には若干「退屈」ではありました。
敵のボス(くちなわの親分)も隠されているのですが、出てきた瞬間、だれが本当の親分なのかすぐに見抜けてしまいました笑
あんまり時代劇みてないですが、このラスボスが思わぬ人物だった!っていうのもお決まりの展開なのかなと思ったりします。
その中でも面白みが感じられたことがあるのですが、作中で悪党が「いい人」風を装っているシーンで、自分の店に奉公している少年にニコニコとお小遣いをあげたり、初見ではこの人いい人だなーと思う人物がいるのですが、別のシーンでは自分の感情を隠せずに使用人をどなったりぼろがでています。こいつは小物なのですぐ本性があらわになり、大物はぜったいにぼろを出さず、すべての人々にいい人だと思われ、同情され、好かれているという描写です。そしてヤクザもので不正を行った賭場を皆殺しにしたりするけど(!?)、かわいそうな姉弟の復讐のすべてを請け負って別れも言わずに去っていく座頭市。人間の良し悪しなんて見てくれじゃわからねえというような、芸能界という魔窟を見てきたたけしの人間観というか、人生観の現れなのかもしれない。そういう面白みが随所にあったんです。
あと農民が畑たがやしながら踊ったり、最期に下駄はいてタップダンスを踊ってまるでインド映画のようなエンドロールを迎えたところ、海外受けを狙ったとか言う人もいますが私は好きですねwww
まー史実として踊る坊主もいたわけですし、急にタップダンスはじめたわけじゃなく、映画のいたるところで庶民は踊っていたわけですから不快な違和感はなかったです。
それに最後燃えた家を建て直す「建設の音」が、まるでファウストのラストみたいで「高尚だな~~~」と感じいって聞いていました・・笑・・めっちゃ好きですね!!

このくだりについてwikでいいことを知れたので引用します。

”1992年、勝新太郎と北野は文藝春秋誌上で対談を行う。その中で勝はたけしに座頭市のワンシーンのイメージを語った。〜 怪しげな煙の中で足をバタバタさせながら握り飯を喰う百姓、そこに現れる市、やがて追っ手の足音が聞こえ百姓の足音と重なり一つのリズムとなる。市は踊りだし旅人風の追手と殺陣を繰り広げる 〜 「たけし。百姓か、旅人姿か、どっちかで出るかい?」。”